ニッケイ新聞 2011年3月12日付け
「間違いなく家は全壊だろう・・・。ただ家族の安否が心配だ」。モジ市イタペチ区に住む芳賀七郎さん(77)は電話の向こうで声を振るわせる。普段は〃ハガ・ラッパ〃と呼ばれるほど元気がいいことで知られるが、今回は少し違う。
芳賀さんの実家は、宮城県石巻と気仙沼の中間に位置する三陸海岸の南三陸町にある。町を最奥部に海に向かって開けた地形で、太平洋側で津波が起きるとそのたびに大被害に遭ってきた歴史がある。
「ちょうど50年前だ」とチリ地震を思い出す。1960年5月22日にチリで大地震が発生し、24日未明に最大で6メートルの津波が三陸海岸を襲い、142人もの貴い命が失われた。その時に、最大の死者41人が出たのが、芳賀さんの生まれた宮城県志津川町(現南三陸町)だった。
「あの時、オヤジが喉頭ガンで入院していてたまたま2階の病室だったから助かったけど、1階は水びたし。それどころか町が全滅だったよ」と振り返る。
「だから町の人間はみんな津波には慣れている。知ってるか。津波が来るかどうか知るためには、まず井戸の底を覗くんだ。津波の前には水が下がる。そして海の水が引く。その時に海底の石がゴトゴトと凄い音がするんだ。その後、一気に水が押し寄せてくる」と生々しく語る。
「あれ以来、津波対策が進んで防潮堤とか防災施設が作られたけど、NHKを見ていたら今回は8メートルだってね。そんなの来たらどうしょうもないよ。町は壊滅的だろうな。これも人生だろう——」と言葉を詰まらせた。
「俺の実家は海岸から100メートルだから全壊だろう。兄弟全員あの町に居るんだよ。俺は一人で移民して来たんだから。家はダメだろうけど、とにかく安否が心配だよ」。朝から電話をしているが、もちろんつながらない。
そんな心配が募る最中、今週からオルキダリオ・オリエンタルで3週末連続開催する蘭祭の準備をしている。最後に「こんな時に・・・」と言いながら電話を切り、仕事に戻っていった。