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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年3月25日付け

 17日朝のグローボTV局ニュースの冒頭発言は衝撃的だった。「日本政府は原発事故を過小広報し、実際には日本は事故の成り行きをコントロールする力を失ったと欧米国際社会は見ている」と報道した。いずれ原子炉爆発すると宣言したに等しい。原爆映像を流し、核シェルターには地下鉄が適当だと報じた▼一方、NHKは最悪の事態をまったく想定しないかのような楽観的な報道を延々と流した。在外邦人はまるで映画『羅生門』よろしく「どっちが正しいのか」と迷う状態に置かれた。なぜこの差が生じたのか▼マスコミはいろいろなものを取材した上で、一番衝撃的な「部分」だけを切り出して報道する習性がある。見る側としては一番衝撃的な部分が「全部」なのかと誤解しやすく、誤報ではないが実際よりもっと悲観的な印象を見る側は受けやすい▼そのような外部から見た悲観論の欧米伯の論調に対して、「当事者」の日本マスコミは、あくまでも日本国民に向けて報じている。だから国民をパニックにしないために楽観的な見方に徹し、〃大本営発表〃的な状態になりやすい。どちらも間違いではないが、その差は甚だしい。起きている現象は一つだが、報道する側の立場の違いだ▼現在までの推移を見ていると、欧米伯が前提とした最悪の事態に陥らない可能性は充分にあるが、深刻な放射能漏れなど以前の報道内容よりも悪いニュースが日本側でも多くなった。両側の中間に客観的な真実といえる立場がある。「中立報道」は建前だと痛感する。そうは心がけてはいても報道者は客観的ではありえない。こんな時、聞く側は冷静に自分の立場を考える必要がある。(深)