ニッケイ新聞 2011年3月30日付け
日本のポ語新聞が二つとも無くなった——。1990年からのデカセギブームの隆盛と共に生まれたインターナショナル・プレス紙(2010年末まで)とトゥド・ベン紙(2009年初めまで)の2大紙が金融危機後、相次いで紙印刷版を辞め、ウェブ版(インターネット)だけになった。2月25日に来社したエスニック・メディアを研究する武蔵大学のアンジェロ・イシ准教授(43、三世)は、「ウェブ版は社説やコラムもなく、特集レポートもない。実質的な廃刊といっていい」とし、危機後の激動する在日コミュニティの一端を次のように語った。
イシさんはかつてトゥド・ベン紙編集長も務め、現在も雑誌にコラムを連載するなど在日コミュニティに大きな影響力を持っており、昨年10月には世界の在外ブラジル人約300万人の代表「在外ブラジル人代表者評議会」(=CRBE)の正評議員にも選ばれた。それだけに在日ポ語メディアから紙印刷新聞が無くなることに「活字ジャーナリズムの魂がなくなった感じを受ける」と残念がる。
在日ポ語雑誌などでイシさんは常々、コミュニティに向けて次の点を批判している。「危機後に帰国した人の中には、2つの恥を日本に置いていった人がいる」と。
一つはゴミで、その最たるものが車だ。廃車手続きをせずに放置したまま帰国するものが後を絶たないという。もう一つは住宅ローンも含めた借金だ。酷い場合は、帰国直前に借金を重ねるケースまであるという。その結果、「日本に残った何の罪もない人たちが、その悪評の犠牲になっている」と手厳しい。
金融危機の直撃を受け、その直前までは31万人余もいた在日コミュニティはわずか2年で25万人程度まで激減した。帰伯者に対するイメージは、日本では「帰伯するきっかけを待っていた、計画的に資金を貯めていた人たち」というものが強いという。興味深いことに、ブラジル側からもたれていた「日本語能力が弱くてまっさきに日本で失業した人たち」という印象と対照的だ。
「日本の方が良いから残ったという人ばかりではない」。イシさんによれば危機後の在日コミュニティには複雑な現実が隠されている。「日本で生まれ育った子供の行く末を考えれば、親自身はブラジルに帰りたくても、いまさら簡単には帰れない」という現実もかなりある。
ブーム開始から20年、当時20歳だった若者が40歳の親に、当時生まれたばかりの子供が成人するタイミングだ。
ただし、世界の成長センターとしてブラジル経済が注目を集めるおかげで、日本の大学新卒者でポ語が達者な日系子女には企業の求人が増えている現実もあるという。
イシさんは今回1月に帰伯、3月末まで当地で「エスニック・メディア」「在外ブラジル人コミュニティの比較」「在日ブラジル人の金融危機後の展望」などの論文を執筆しているという。