ニッケイ新聞 2011年4月5日付け
国際日本文化研究センターの細川周平教授が2月25日、念願のレジストロを訪れた。細川教授は1991年に初訪伯してから十数回に亘ってこの国の地を踏んでいる。ブラジルではサンパウロ人文科学研究所に拠点を置き、各地方を回って調査をしている。
今回は日系文芸サークルの取材のため、2月5日から3月1日まで滞伯した。以前はマナウス、ベレン、クリチーバ、ポルト・アレグレ、ベロリゾンテ、その他の地域を訪れている。調査の目的はその時によって異なるが、最初に来た時はノド自慢、カラオケ、浪曲、シネマ屋の実態調査だったと言う。
細川教授は「移民の故郷」レジストロを訪れたいと思っていたが、なかなかその機会に恵まれず、今回その念願が叶ったもの。同地文協会長の案内で移民資料館、文協、レジストロ・ベースボール・クラブ、お茶園を回った。
細川さんが一番感動したのは、「あの有名な岡本寅蔵さんが1935年、セイロン島で門外不出の紅茶のアッサム種の種を食パンの中に入れて持ってきて育った茶木を見た時だった」と言った。そして寅蔵さんの孫リカルドさんとお話できたことも幸運だったと話した。
20年前と現在のブラジルの比較を質問したら、「一世の数が少なくなり二世の発言力が強くなったのは時代の流れでしょう。あの頃は超インフレの時代でしたが、今はブラジルの通貨レアルも安定し経済成長を遂げている。ブラジルの現状を肌で感じています。日本移民の歴史で重要なレジストロに来たかったのですが機会が無くて実現しませんでした。今日、念願が叶い嬉しいです」と言う返事が返ってきた。(金子国栄さん通信)