【記者の目】=会員の存在を無視するな
ニッケイ新聞 2011年4月12日付け
木多喜八郎会長が小川彰夫候補とのデバッテ(討論会)への参加を拒否した。拒否する自由もあるが、どうも腑に落ちない。理由は大まかに三つある。
表立ったものは、日系5団体で行なう震災義捐金関連の事務処理の多忙さ、である。木多会長によれば、これに関しては文協がリーダーシップを発揮し、まとめ役を任じているという。
しかし、すでに震災発生から1カ月。副会長が7人もおり、事務局もある。あくまで相手に納得を求める言い訳と言われても仕方あるまい。
本音は、「やりたくないから嫌だ」にほかならない。本人も認めるとおり、あいさつや人前で喋るのが得意な御仁ではない。壇上で脂汗をかきつつ原稿を読んでいる姿には、同情さえする。
2年間続けているのに、一向に上手くならないのは、よっぽど苦手なのだろう。これは向き不向きがあるからしょうがない。
そして、三つ目の「やるメリットがない」ということを問題にしたい。
つまり、当選に充分の評議員を抱えており、あえて不利になる(デバッテでの失言など?)ことをする必要がないという体制側の考えを、いかがなものかと問いたい。
現在、会員の権利は剥奪された状況といえる。総会で評議員に一票を投じること以外には、予算、事業案・報告を見ることさえ許されていない。それは評議員の仕事なのである。
「会費だけ払ってください」という状況を会員が不愉快に思っても仕方がない。実際、2年前に比べて会費完納者、投票者は減少している。
会員らは、理事会、評議員会、そしてトップの声、考えを聞く機会を与えられていない。
現体制が謳う透明性はどこにあるのだろうか。こんな小さな団体であることを考えると、少々不健全といえなくもない。
打診のさい、「選挙のためだけではなく、会長の考えを会員が聞く場所にしたい」と食い下がるコラム子に木多会長は、「2年間にやったこと、これからやりたいことは『文協ニュース』を見てほしい」と話した。
これは文協初といえる全ページカラーで4千部が刷られた。小川候補が「文協のお金を使った選挙活動。選挙違反でなければ、モラル違反」と断じているものだ。
巻頭数ページにわたる木多会長のインタビューはポ語のみであることを指摘すると、「必要であれば日本語での取材にも答えるが、質問を文書で送ってほしい。回答も文書でさせて欲しい」と条件をつけた。
震災の話に戻る。木多会長いわく、日本赤十字への送金方法が決まったのは、4月2週目だという。何と時間のかかることか。非常時とはいえ、対日本の交渉ノウハウの低さを指摘されてもしょうがないだろう。
「全伯日系団体の代表」「ブラジルと日本の繋ぎ役」—。掛け声だけ勇ましく、現実を伴っていないことは期せずして今回の対応ではっきりした。「馬脚を現した」といえば、言いすぎか。
これで文協を支える会員から見放されたら、どうなるのか。現理事のみなさんはよくよく考え、公明正大に自分たちの意見を明らかにしたほうがいい。(剛)