ニッケイ新聞 2011年4月16日付け
ブラジル日本都道府県人会連合会主催のモジアナ線周辺を訪ねる第35回「移民の故郷巡り」(吉村幸之団長=佐賀県人会長)が3月26日から4日間行なわれ、約125人がバス3台に分かれて計6ヵ所を見て回った。移民百周年を機に復活したサンカルロス文協、州立農大教授が中心になったジャポチカバル文協、モコッカの消えかけた養蚕植民地、移民の原点グアタパラ、地方随一の温泉レジャー施設ラランジャイス温泉プール、リメイラ味の素工場などを巡り、一行は見聞を広めた。
26日午前11時頃、サンカルロス日伯文化協会(栗森ネウザ会長)の会館に故郷巡り一行は到着した。栗森会長は交流会のあいさつで復活した経緯を説明し、「こんなに沢山の一団を迎えるのは初めて。できる限りの応対を心がけたい」と挨拶した。剣道教室、和太鼓、踊り、日本語授業などをしており、郊外にはスポーツセンター設備があり、年間行事としては運動会、カラオケ大会などもある。
青年会リーダーの菅原タイグアラ・ケイさん(18、三世)は、会長挨拶を日本語で代読した。日本文化に興味を持つ学生ら50人が集まって青年会が結成され、うち1割が非日系人だ。
同地の重鎮、戦前の古谷重綱アルゼンチン公使の甥、古谷綱雄さん(94、愛媛県)が乾杯の音頭をとり、一行は地元が用意してくれた料理に舌鼓を打った。
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1949年5月5日に創立した伝統ある同協会は13年程前に活動を休止していた。会館はブラジル人の団体に賃貸されたのち、誰も使わなくなり、廃墟同様に荒れていた時期もあったという。
同地の小川隆子さん(たかこ、62、山口県)は「昔は天長節、演芸会、敬老会、運動会など活発に活動していた。90年代には昔の人が次々に亡くなり、若い人はデカセギにいってしまい、活動が寂しくなり停止してしまった。07年11月頃から百周年で何かやろうと勢いが高まっていた」と振り返る。
移民百周年の08年、現在の栗森会長、山本八士郎副会長ら二世が中心になって活動を再開した。現在の会員は約50家族だという。03〜04年に市持続的開発局長を務めた山本さんが、08年には市長補佐をしていた関係で、市日本移民百周年祝賀委員会の責任者に就任していた。
「ここは大学都市だから色んな町から日系人が集まっている。せっかくの百周年だから、みんなでなんかやろうと意気投合し活動を復活させたんです」と語る山本さんもマリリア出身だ。USPや連邦大学があり、22万人の人口のうち4万5千人が学生と大学院生という特徴のある町だ。
「日系人らしいイベントとは?」と頭をひねった結果、ヤキソバや寿司、天ぷらなどの日本食の販売と日本舞踊などを披露する「サンカルロス祭り」が生れた。会場は市立市場前の広場で、5月に2日間開催し、今では5万人が来場する同市が誇る大イベントに育った。この祭りの収益で2年前に会館を改修し、現在の清潔感あふれる姿になった。
14年間同市に在住する大平ミヨさん(94、福岡県)は、「サンパウロからこんなに一杯来てもらって嬉しい」と微笑んだ。山本副会長は「今は二世、三世が中心だが、一世中心の時代と同じように日本文化は大切だ」と語った。(つづく、深沢正雪記者)
写真=青年会リーダーの菅原さん(マイク)、右奥が栗森会長