ニッケイ新聞 2011年4月21日付け
地震のあと押しよせる津波に流され、破壊される家々、車、漁船などが、激しい勢いで市街や田畑を覆いつくすテレビの映像に、心を痛める毎日でした。あれからもう1ケ月が過ぎました。
巨大地震と津波にほんろうされた東日本の海に残ったのは瓦礫の山、まさに目を覆うばかりの惨状でした。一瞬のうちに生活の基盤を奪われただけでなく、掛け替えのない家族を失われた方々のご心中、どのように慰めてよいか言葉がみつかりません。ご心痛さぞかしと推察いたします。その上、これでもかと言わんばかりの、原子力発電所の損壊による異常事態の発生ですから、一体どうなることかと、なおさら心が痛みます。
思い返せば、64年前シベリア抑留から帰還した時、故郷広島市は原爆によって、みるも無惨な焼野原に変わりはてていました。茫然自失し、胸中を吹きぬけた例えようのない脱力感は忘れることができません。
十数年にわたる戦争で国力を使いはたし、戦禍で廃墟と化した上、敵国に占領されて国の機能は乱れました。しかし美しい山河は残っていました。私たちはただ、その日その日を我武者羅に働き、明日へ希望をつなぎました。そして日本は、どうしようもない廃墟のなかから立上がり、世界第二の経済大国にまで成長したのです。
今、東日本は未曾有の巨大地震、津波、さらに原子力発電所事故によって、みるも無惨な状況をみせています。しかしながら、すべてを失った終戦の時と同様に、山は青く川には清らかな水が尽きることなく流れています。
このたびの国難と称される大災害に直面しながら、冷静に行動する日本国民は、ブラジルはもちろん、世界の国々から賞賛されて、私たちは誇りに思っております。
4月11日のニュースでは、岩手県宮古市の魚市場再開という明るい画面が写されて、復興への第一歩が踏みだされたことを知りました。またある被災地の医師は、手のつけようもないあの瓦礫のなかで、小さくとも踏み出す一歩から大きくなるという言葉と共に、診療を始めた様子が写しだされました。決して諦めないという医師の使命感と強い意志に深い感動をうけました。すばらしい映像でした。これからも余震が続くことでしょうが、頑張って下さい。
私たちは遠くブラジルにいて、お手伝いらしいことは何一つできなくて、大変心苦しく思います。
どうぞ子供さんとお年寄りの方々を、以前にまして大事にしてあげて下さい。子供さんは未来の担い手、お年寄りは過去を担って、現在を築いてこられた勇士です。
がんばれ 祖国日本!