ニッケイ新聞 2011年4月28日付け
私の生まれた大正12年の9月1日には関東大震災が起きて、6万人以上の死傷者を出したという記録がある。それから88年、娘夫婦が私の米寿を祝してくれると準備中の3月11日にまた、東北大震災が勃発した。
生まれた年に米寿と、節目の二回とも不幸がおきるなんて縁起でもない。
しかし、これは私が災害を招致したわけでもないし、生んでくれた親父のせいでもない。すべて偶然ではあるが、何ともありがたくない話だ。
NHKでは毎日災害の悲惨を放映しているし、観ているといまさら米寿でもあるまいという気がして、娘夫婦に最近は米寿なんて珍しくもないし、この際中止して2年先の90歳を祝ってくれればいい、と話してみたが、もうサロンは予約してあるし、仕出し屋にも頼んである。招待状を送った人々にも気の毒だ。中止したところで被害者に何の慰めにもならないし、何とか半日だけ震災に目をつむって集まってもらおう。震災者にはまた後で何らかの協力を考えよう。ということに決めた。
当日は雨模様との予報もあったが、降ることもなく、約束の時間には次々と文芸仲間をはじめ、親戚、友人の面々が120人ばかり集まってくれた。
プログラムは一切娘にまかせきりで、司会もブラジル人とのこと。招待者の多くはブラジル語が不得手で、万一不都合が生じたらと、友人の一人に助手をたのんであったが、その要もなくスムーズにことは運んだ。
まだまだ子供と思っていた娘のこましゃくれた挨拶、日系文学会の駒形秀雄さん、短歌会の藤田朝寿君、フェリッシモ文章会の広川和子さんたちから、それぞれ心のこもった挨拶を贈っていただき、88歳の年月を涙のにじむ思いでかみしめることができた。
カラオケなども不幸つづきの震災でどうかと心配だったが、司会の誘導のよろしきを得て、次々と演歌のベテランの登場で、出そびれた人々もあったのではなかったかと、気になるほどの盛況ぶりで、会場は賑やかに、かつ美しく盛りあげることができ、参加者一同のなごやかな雰囲気が何にもましてうれしかった。
皆さんからの心づくしの祝儀も沢山いただいたので「罹災者には後で何かを考えよう」と話し合った先日のことを思い出して、家族、娘夫婦とも相談をして、災害の多かった岩手、宮城、福島、千葉の各県人会へ義捐金として少しづつ贈らせていただくことにした。
ためらっていた米寿を祝ってもらうことが出来たうえ、東北大震災にいささかの協力ができたことは、娘夫婦も喜んでくれたし、わずかな心づくしでも罹災者に届けることのできたことは、家族一同の大きな喜びと、自分自身に言い聞かせている。