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モザンビーク=セラードの40年を20年で=プロサバンナ説明会開催=3カ国高官らが理解求め=民間団体熱心に聞き入る

ニッケイ新聞 2011年4月29日付け

 「ブラジルが40年かけてやったことを、20年で成し遂げるのが目標だ」。セラード開発の経験をアフリカ大陸で活かすプロサバンナ計画を説明する国際セミナー「モザンビークでの農業ビジネス(日伯連携協力と投資の機会)」が25日にサンパウロ市ホテルで行われ、このために来伯したモザンビークのジョゼ・パシェッコ農務大臣はそう高らかにポ語で宣言した。日本から大島賢三JICA副理事長、ブラジル側からは各関係機関の代表、上下議、モザンビークからは同大臣と2州知事などが出席し、約200人の進出企業、ブラジル農業団体代表者らと熱心に質疑応答を行った。主催はJICA、国際協力機関ABC(ブラジル外務省)、ブラジル外務省貿易促進部(DPR/MRE)。

 開会式でABCのマルコ・ファラニ長官は「ブラジルにとってはじめての3国間協力になる。日本は重要なパートナーだ」と強調した。
 大島副理事長は「今回の大震災に影響を受けず、このような開発は進めていく」とし、「今回の3国間協力が成功したら、アフリカの他のサバンナ国にも広げていきたい。日系人専門家、日系企業などの参加にも期待したい」と呼びかけた。JICAは今計画以外にもインフラ整備や教育など多面的な支援を順次実施することを説明した。
 ブラジル農務大臣代理、農牧公社(Embrapa)のペドロ・アラエス総裁は「ブラジルとアフリカは気候、地質、植生がとても似ている。我が公社の大部分といえる12の専門部署がこのプロジェクトに関わっており、最優先項目である。この計画に民間企業が入ってもらうことで、新たな段階に到達できる」とした。
 ムラデ・ムラジ駐伯モザンビーク大使に続いてアントニオ・デ・ソウザ・シルヴァ駐モザンビークブラジル大使も「これだけの高官、政治家、企業が集まったことは、この計画の実現可能性を保証するものだ」とのべた。
 昨年末に現地視察をしたカチア・アブレウ上院議員(ブラジル国家農業連合会長=CNA)は「ブラジルは先駆者の常で多くの障害を乗り越えねばならなかったが、その経験を伝えることで近道できる。アフリカ大陸ではショー・デ・ボーラ(華麗なサッカーのボール美技)が待っている」と持ち上げた。
 「当国は農牧公社を74年からの5年間で16カ所開設し、まず調査研究と人材育成を図った。これがあったから、僅かな資金で世界有数の農業地域開発を実現した」とし、60年代には食糧輸入国だった当国が世界の穀倉地帯になるまでの〃奇跡の道のり〃を振り返った。
 JICA本部のアフリカ部代表としては初来伯となる押山和範部長(おしやま・かずのり)は、「JICAは08年から5年間でアフリカ向けのODA予算を倍増する予定だが、その中でこの計画は特別なもの」と位置付けた。またブラジル側の国際支援機関ABCの代表も「モザンビークはブラジルからの国際支援の約16%を吸収する最大受益国。今計画はABCにとっても最大の目玉計画だ」と歩調を合わせた。
 当日は午後5時ごろまで現地政府による資金貸付け制度や現地で大農場経営談など様々な説明が行われ、熱心な質疑応答が繰り広げられた。
 当日約200人の来場者の一人、当地在住20年の沢田一郎さん(45、東京)は「コチア組合のバレイラスで技師としてセラード開発の現場で働いていた経験を、ぜひアフリカでも生かせないかと思って参加した。現地ではトラクターといばブラジル製ヤンマーだと聞くし、ジャクトや日系肥料会社など多くが代表を置いている。私も馳せ参じたい気持ちだ」と語った。

「世界の地政学変える」=ロドリゲス元農務大臣語る

 農業セミナーの中でロベルト・ロドリゲスサンパウロ州工業連盟農業ビジネス高等審議会会長(元農務大臣)は、「ブラジル農業ビジネスの国際化」と題して、今後20年間の世界人口の増加動向を予測すると、食糧も20%増産しないと追いつかないと国際食糧機関(FAO)が警告していることをもとに、先進国が増産できる余力は5%しかなく、中国でも22%、ブラジルは40%を期待されているとし、当国を軸にした大展開が今後の世界食糧保障の要であるとの見方をしめした。
 さらに、枯渇する石油資源などのエネルギー問題も農業ビジネスに含めて、環境負荷の少ないサトウキビによるエタノール生産などをそこに入れればもっと高い割合の増産が必要とされると強調した。当地同様にサトウキビ生産可能な地域は、アフリカ始め、南米、南アジアなどの地域であり、現在の原油産出国に変わって「トロピカル(熱帯)エネルギーが世界の地政学を変える」との持論を展開した。
 加えて「日伯は日本移民という絆を軸にして大変前向きな協力関係を築いてきた」とし、第一にサンパウロ市近郊に野菜生産地帯(シントゥロン・ベルジ)を作ったこと、第二に移民がたくさんの野菜品種を持ち込んで定着させたこと、第三に農業組合を導入して広めたことと分析し、「ブラジルの現在までの農業発展は実に多くの部分を日本に負っている」との見方を示した。
 「私の孫の時代である今後30年で、日伯両国は世界の農業界において特別な地位を占める関係になっているに違いない」と締めくくった。
 質疑応答では「日本移民が組合主義をブラジルに持ち込み、それがセラード開発では受け皿になった。モザンビークでも現地に組合を事前に整える必要があるのでは」との疑問が寄せられ、元農務大臣は「その通りだ」と答え、モザンビーク大使らからそのような準備も計画されているとの回答があった。