ニッケイ新聞 2011年5月3日付け
沖縄県人会サントアンドレー支部(宮城あきら支部長)は4月17日、来伯中の西原篤一沖縄ブラジル協会会長による講演会と「沖縄民謡の夕べ」を同支部うるま会館で開催した。
10月に開かれる「第5回世界のウチナーンチュ大会」の実行委員で、広報のため来伯中の西原氏は、那覇市、沖縄県の教育委員長などを務める傍ら、在那覇ブラジル名誉領事として沖縄とブラジルの交流に尽力。現在は県青少年赤十字賛助奉仕団の事務局長として東日本大震災の支援活動にも携わる。
講演会は午後5時半ごろから始まり、120人あまりが来場。震災の犠牲者へ黙祷を捧げた後、宮城支部長が西原氏の紹介を行い、「沖縄の文化を考える参考になれば」と期待を表した。
「沖縄芸能・文化のすばらしさ」と題した講演で西原氏は、三線(沖縄三味線)やエイサー太鼓、空手などを例に挙げながら沖縄文化のもつ力について語った。
代表的な三線は約700年前に中国から伝わったもの。西原氏は県内各地にいまもそれぞれの民謡が伝わっていることを紹介し、「三線はウチナーンチュ(沖縄の人)の心のよりどころ」と位置づけた。
エイサー太鼓は琉球王朝時代に招かれた福島県いわき市の僧侶が伝えた念仏踊りが起源とされ、今も旧盆に行う伝統行事として受け継がれている。そこから琉球國祭り太鼓のような創作太鼓が生まれたとし、西原氏は「太鼓を通じて沖縄の文化が世界に発信されている」と語った。
現在では県内の学校でも伝統文化を教えるようになっているという。西原氏は、こうした地域の文化が移民とともに世界各国へも渡ったと強調。「沖縄の芸能、文化を子や孫に伝え、生きる力、勇気になるよう伝統を継承してほしい」と述べた。最後にウチナーンチュ大会の紹介を行い、多数の参加を呼びかけた。
講演を受けて発言した高良アレシャンドレ同支部文化部長は、戦前戦後にあった沖縄移民、日本移民への否定的な評価を乗り越え、県系人がブラジルの多文化社会に適応してきたと評価。沖縄の文化は将来も子や孫に伝わっていくだろうと話した。
昨年度の県費留学生と浦添市研修生、ジュニアスタディーツアーに参加した3人の子弟も壇上に上がり、自身の体験を振り返り、関係者へ謝辞。沖縄で世話になった西原氏に記念品を贈った。またこの日は、同支部会員に募った震災の義捐金が約1万6千レアルに上ったことが発表され、与那嶺真次県人会長と西原氏に目録が手渡された。
講演会終了後は、ジューシー(沖縄風炊き込みご飯)など婦人部手作りの郷土料理などが振舞われ、民謡の夕べを開催。民謡研究会を主宰し作詞・作曲活動も行う西原氏の曲を同支部民謡愛好会のメンバー、西原氏らが歌い、最後はカチャーシーで盛況のうちに終了した。