ニッケイ新聞 2011年5月4日付け
2009年7月に軍政時代に殺害されたゲリラの名前などを記載した文書が公開された事を契機に、ゲリラの娘と思われる女性と、殺害された兄弟の遺族を探す家族とが共に、血縁関係が立証されるのを待ち望んでいると4月30日付エスタード紙が報じた。
1964〜85年の軍政時代、パラー州とトッカンチンス州にまたがるアラグアイア地方で反政府活動を行っていたゲリラ達が捕らえられ、拷問されたり殺されたりした事は周知の事実だが、09年7月にクリオ文書が世に出た事で、人生が変わった人々がいる。
クリオ少佐として知られるセバスチャン・クリオ・ロドリゲス・デ・モウラ予備役中佐の私蔵文書が公開された事は、09年7月4日付エスタード紙などが報じ、72〜75年に殺害された、最低41人のゲリラの名前が世に知れ渡った。
この報道を見て即座に行動を起こしたのは、ラウルというコードネームで知られ、74年に殺害されたアントニオ・テオドーロ・デ・カストロ氏の兄弟達だった。
ラウル氏には6人の兄弟がおり、その一人、マリア・メルセス・カストロさんが、軍のガイド役を務めた元ゲリラのジョゼ・マリア・アウヴェス・ダ・シウヴァ氏(通称、ゼ・カチンゲイロ)と会い、軍がゲリラの子4人を誘拐した事、ラウル氏の恋人に色白の女の子がいた事などを聞いた事は09年7月14日付エスタード紙の報道だ。
一方、この報道を見、自分の肉親探しを始めたのは、パラー州ベレン在住の夫婦に74年に引取られたリア・セシリア・マルティンさん。妊娠中だったリアさんは、リオで薬学を専攻し、1971年にアラグアイアに移って来た学生ゲリラの事を調べ始めた。
やがて、パラナ州クリチバやブラジリア、セアラ州フォルタレーザでラウル氏の兄弟達に会ったリアさんは、すっかり懇意になり、DNA鑑定も実施。DNA鑑定では、21の遺伝子情報の内18が一致した。
母方の遺伝子情報がないため、詳細な検査でも本当に血縁関係があるか否かを確定する事は難しい面もあるが、ラウル氏の兄弟達は、長年探し求めていた肉親が見つかったかもしれないと言う事実を喜んでいる。
アルゼンチンでの軍によるゲリラの子誘拐や肉親関係立証のためDNA鑑定との話はわりと流れていたが、リアさん達の話は、ブラジルでも、軍がゲリラ殺害と共に子供の誘拐も行っていた事を立証する事になりそうだ。