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「第3の波」到来か=ブラジル進出企業の今を追う=連載《1》=「失われた20年」を経て=再び高まるブラジルへの関心

 今、にわかに、そして着実に日本企業の進出の足音がブラジルに響こうとしている。クビチェック大統領時代の1950年代の工業化促進計画に乗った「第1の波」、「第2の波」の70年代の官民による熱い日伯関係は80年代のブラジルの経済混乱と90年代の日本側のバブル崩壊で極端に冷えきった。経済を立て直した大国としての評価をいち早く下した欧米企業のラッシュに遅れる事約15年、内需拡大による安定的な成長を続けるブラジルの潜在性に改めて日本企業が目を向け始めたのだ。その年間進出企業数はまだ70年代とは比べものにはならないが、ブラジルは資源を持つとともに、「モノを売る」市場として確立しつつあり、進出企業の業種にも変化が見られるようになった。長い沈黙の時を経て今、日本企業の「第3の波」の到来を予感させている。(宇野秀郎記者)

 バイク便業者「THANK YOU EXPRESS」で日系企業を担当する青島孝雄さんは、長年地道な調査を重ね1955年から昨年までの日本企業の年間ブラジル進出数リストを作成している。
 同リストによると日本企業の進出数が最高に達したのは73年の98社。前年が52社、74年が78社、75年が60社と際立っている。ナショナルプロジェクトが盛んに行われた時代だ。
 YKK(吉田工業)、戸田建設、川崎重工、博報堂などもこの時期、工業、電子、繊維、製鉄、食品、公社、保健、銀行、新聞などの有名企業が顔を揃えた。80年にはブラジル日本商工会議所の進出企業会員数が史上最高数(215社)になっている。
 しかし、85年に軍事政権からの民政移管が進みハイパー・インフレ、モラトリアムとブラジル経済の混乱期が訪れた。
 リストを照らし合わせると、進出の数も85年8社、86年6社、87年5社、88年8社、89年4社と低い数字で推移。同じ調子で94年まで続き、逆に撤退が進んだ。
 94年7月の「レアル・プラン」実施後にブラジル経済はインフレを克服し、欧米企業はその将来性を見込み進出、大型投資を再開。しかし日本では90年代前半のバブル崩壊後の不況によって、進出数は大きく伸びず95年15社、96年19社、97年26社。その後も年間平均11社程に留まっている。日伯関係の「失われた20年」といわれる時代。その後日本企業の関心は中国、アジアに向けられた。
 しかし、ルーラ政権時代に中間層以上が人口の半分を超え、その旺盛な消費による市場拡大や、W杯、五輪の開催、その他の巨大インフラ整備の促進などが謳われ日本企業も漸くブラジルを市場として認識し始めた。
 年間進出数も2008年には実に33年ぶりに30社を超えた。リーマンショックの影響もあり09年は11社だったが、昨年は24社が進出している。
 ブラジル日本商工会議所の平田藤義事務局長は、以前のモノ作り産業、紡績などと違い「サービス業や衣・食分野などこれまでに無かった業種の進出がある」と近年の特徴を指摘する。
 同商工会議所の進出企業会員数は171社(11年3月9日現在)で04年の141社から30社増加したことを説明し、昨今の表敬訪問の数を見ても「中期的に見て80年次の数を超えることは実現可能」と強調し、会員(現地資本、外資含む)数も近く史上最多の333会員を更新する見込みと話した。
 数、規模では欧米企業に大きく水をあけられている日本企業だが、今後注目度が増し50年代、70年代に次ぐ「第3の波」の到来となるかが期待されている。(つづく)