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差別反対の先駆者死去=アビジアス・ド・ナシメント氏=ノーベル平和賞受賞の候補者

ニッケイ新聞 2011年5月26日付け

 リオデジャネイロ市のセルヴィドーレス連邦病院で24日、ブラジルでの人種差別反対運動の先駆者の1人で、俳優、監督、脚本家、政治家でもあったアビジアス・ド・ナシメントさん(97)が心不全で亡くなったと、25日付エスタード紙が報じた。
 ナシメントさんは4月から肺炎で入院していたが、持病の高血圧と糖尿病による心臓や肝臓の慢性疾患が悪化し、帰らぬ人となった。
 1914年にサンパウロ州のフランカ市で生まれたナシメントさんは、1936年にリオデジャネイロ市に移り住んでおり、30年代に人種差別反対運動を開始している。
 黒人のナシメントさんは、人種差別と『エスタード・ノーヴォ(新国家)』時代(1937〜45年)の独裁政権に対して抗議したため、逮捕されたことが2度あり、軍事政権時代には、アメリカに13年間亡命していた。
 1981年にはブラジルに帰国しており、PDT(労働民主党)の創立者の1人となった。1983年〜86年に下院議員を務め、90年代には2度にわたって上院議員になっている。
 議員としては、公務員採用枠の20%は黒人男性、20%は黒人女性に割り当てる事など、黒人に対するアファーマティブ・アクション(改善措置)のプロジェクトを初めて提案した人物。
 ナシメントさんの通夜は26日午後6時からリオデジャネイロ市議会で行われ、遺体は27日に、カジュ市サンタカーザ・ダ・ミゼリコルジアの火葬場へと移される。火葬は本人の願望で、その灰はアラゴアス州のセーラ・ダ・バリーガにある、黒人によるブラジル最大の抵抗運動の拠点であった『キロンボ・ドス・パウマーレス』へ運ばれる。
 ナシメントさんは、ノーベル平和賞の候補者ともなった他、国連などの国際機関や外国からも顕彰されている。ブラジルでは2006年、外務省提供で連邦政府としては最高の敬意を表す賞『オールデン・ド・リオ・ブランコ』を、ルーラ前大統領から直々に渡されている。