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船内、移住当初、今を語る=さんとす丸同船者会=懐かしい話に頬ゆるむ

ニッケイ新聞 2011年5月27日付け

 1960年5月18日にサントス港に到着した「さんとす丸」の第2回同船者会が15日午後、リベルダーデ区のレストランで開かれた。同船者ら7人が参加し、51年目の再会を喜び合った。同船は神戸港を出発し45日間の航海を経て着伯。最初の同船者会は、50周年を記念し、昨年初めて開かれた。

 「これが私。若いでしょう」と出港前の記念写真を取り出したのは安田功さん(69、鹿児島)。写真の隅に写る商店で買ったナイフを持参した。「まだ使えますよ」と笑う。
 それにつられてか、主催者の一人、村上佳和さん(70、広島)も持参した写真を披露。
 船から垂らしていた釣り針に引っかかったアホウドリを吊り上げ、何人かが集まっているー。「本当におかしかったですよ」と懐かしそうに数人が笑った。
 57年から62年頃まではちょうど戦後移住のピーク。毎月移民船が着伯した。その後、日本は高度経済成長期に突入する。
 「80年代に起こったブラジルのハイパーインフレに直面し、悔しい思いをした」との声も。同船者の中にも、帰国した人が多かったそう。
 前出の村上さんは、「農業で一旗揚げよう」と19歳で船に乗った。コチア青年とともにサンパウロ州エンブーに配耕された。2年後に移ったパラナ州マリンガは、原始林が生い茂っていた。
 「ひたすら井戸を掘り、山を切り開いた。山焼きの煙で、太陽が黄色に見えた」。雑穀の仲買商も経験した。
 66年12月13日に到着した「あるぜんちな丸」で来伯した妻のことじさん(66、広島)も同席した。
 兵頭一さん(75、愛媛)も、農業をやろうと24歳で渡伯。
 「日本の段々畑の小さな土地ではなく、機械で大規模農業をやりたい」。ソロカバに入植、現在は造園業を営む。
 遅れて到着したのは吉泉美和子さん(71、山形)と武智よしみさん(84、愛媛)。
 吉泉さんは当時20歳。7人いたコチア青年花嫁移民の一人だった。
 「小さい頃からおてんばで、大きな夢を持ちたいと思っていた」。県会議員の帰国報告会に参加し、「ブラジル移民研究会」に入る。
 「末っ子で、高校卒業後は働き手にと期待していた両親は大反対したけどね」。現在は息子と2人、畑仕事に精を出す。
 村上さん夫妻が「来年は、もっと大勢に呼びかけ、開催しましょう」と全員にお土産を渡しながら声をかけ、それぞれが笑顔で固く握手を交わしていた。