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東日本大震災=写真グラフ=2カ月後の被災地は今=想像こえる宮古、山田の現状

ニッケイ新聞 2011年5月28日付け

 百聞は一見にしかず——と箴言にはあるが、実際に見た岩手県の東日本歳震災被災地の現状は「言葉にならない」という一言に尽きるものだった。まるで無慈悲な神の手でなぎ倒されたかのように町には、2カ月たってもまだ瓦礫の山ができている。世界に冠たる日本において、そのような現状であること自体が災害の深刻さをおもわせる。しかし、山田町在住のブラジル岩手県人会賛助会員の二人は、「ブラジルからの支援に心から感謝する。町民一同がんばっている。必ず復興してみせる」と力強く口を揃えた。


【山田町田の浜地区】山田町教育委員会の生涯教育課の菊地光明課長は、田の浜地区の防災責任者として地震直後に駆けつけ、現場の指揮をとって多くの住民の命を救った。指先の方角にある防災センターが当初の避難先だったが、津波の状況を判断して急きょ、さらに高台に避難して間一髪で助かった。現在たっているこの場所に、菊地課長の自宅があったが、津波とその後の火災で跡形もなくなった

【宮古市田老地区】強大な神の手でなぎ倒されたように町が消滅した。アスファルト道路の交差点がまるで十字架のように見える











【宮古市港湾地区】堤防脇の民家の残骸あとには、「Wedding Memoris」(結婚式の思い出)と書かれたビデオテープと赤ん坊の写真が、持ち主が取りに現われるのを虚しく待っていた





県庁所在地の盛岡市から東方向にリアス式海岸におりたところが宮古市。同市街地から少し北側にいったところに田老地区がある。宮古市の南側が山田町。さらに岬を越えたすぐ南側が田の浜地区となる(山田町観光協会のサイトより)






【山田町】線路の奥に見えるのがかつてのJR陸中山田駅。ここが町の中心部だった。火事によってグニャと捻じ曲がった線路が、火力のすさまじさを物語っている










【宮古市港湾部】港の先端にある公園は瓦礫置き場の山と化していた。ショベルカーが山をさらに高く盛り上げるべく、懸命に作業を続けている






【宮古市】なにげないバスの車窓には、想像を絶する光景が延々と続く








【宮古市】津波の勢いで3階近くまで壁をもっていかれ、お化け屋敷のような無残な姿になった「みやこ湯」温泉の建物の前を登校する女子高生






【宮古市市街地】「海なんかきらいダ〜、バカヤロー!!」とスプレーで殴り書きされた、解体を待つ民家。河口に近いために川を遡った津波にやられた