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東日本大震災=けっぱれ! 岩手=立ち上がる被災地を歩く=最終回=39mの津波受けた田老=〃万里の長城〃に翻る日の丸

ニッケイ新聞 2011年6月4日付け

 「まあ、復興には10年はかかるね」。菊地課長は唇を引き締めた。「町の復興プランを一生懸命に作っているところです」というが、津波が押し寄せた区域は国が家の新築を禁止する法令を出したので、その扱いが決まっていない。松本さんも「早く国の線引きを決めてもらわないと」と眉間にしわを寄せた。
 「おととし、(ブラジル岩手県人会の)千田会長もここに来ました。こんな様を見たら、さぞや驚かれるでしょう」と課長はつぶやいた。この一体ではかつて、ホタテや牡蠣を養殖するイカダがいっぱいに並んでいる美しい風景が見られた。松本さんも「ブラジルから来た研修生をここに連れてきては、いつもイカダをバックに写真を撮っていたんです」と残念そうに海を指差す。
 菊地課長に日系社会へのメッセージをたずねると「私たち岩手県人は我慢強いのが特長ですから、必ず復興させますので、見ていてください。岩手県人は昔から厳しいのに耐えてきました。絶えず前を見ていきますから、ブラジルからのご支援、よろしくお願いします」と力強く語った。
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 次に宮古市田老地区に向かった。三陸鉄道の北リアス線は1車両が一日に4往復するだけ。運転手が車掌をかねて集金もする、実にのどかな味わいのある路線だ。4つめの田老駅で高校生達と一緒に下り、高台からなにげなく海の方を眺めて言葉を失った。野球場10個分もありそうな平地が広がっている。ここはかつて住宅や商店が密集したところだったという。
 津波の怖さは高さではなく、水の量(容積)だ。リアス式海岸では山が海まで迫っている地形のところが多く、とんでもない量の津波の容積が山に押し返されて、わずかばかりの開口部である港とその奥の三角形の平地部に押し寄せる。その結果、とんでもない高さまで上ることになる。
 この地区では今回最高の39メートルを記録した。ビルでいえば12階建てに匹敵する。チリ地震の津波で大被害を受けたあと、〃万里の長城〃と賞賛される国内最高の堤防が築かれたが、その一部が押し流された。決壊した堤防の基礎部分に「この国難を乗り越えよ」と無言のうちに主張しているかのように、日の丸が静かに翻っていた。
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 これら被災現場は大震災のほんの一角に過ぎない。このような光景が茨城北部から福島、宮城、岩手、青森までえんえんと400キロ以上も続いている。サントスからリオに匹敵するこの長大な沿岸部がずっとこのような惨状なのだ。
 今回逢うことができた二人は生き残った側だ。亡くなった人や行方不明の計約3万人が見た光景というのは、さらに凄まじいものだったに違いない。それを想像するだに戦慄を覚える。ただ合掌し、祈るしかない。
 東北地方は多くのブラジル移民を送り出した所縁の深い地域でもある。このような光景の中に移民の兄弟、親戚、縁者がたくさん住み、そして苦しんでいる。復興に10年かかるとしたら、その間、ブラジルからは何ができるのか。ボールペンを握った手をじっと見つめるしかなかった。(おわり、深沢正雪記者)

写真=〃万里の長城〃といわれた日本で一番高い堤防が津波で流された後の、残った基底部に日の丸が掲げられていた