ニッケイ新聞 2011年6月7日付け
200人以上を収容するサンパウロ市内有数の大型日本食レストランとして一世を風靡した、サンパウロ市ジャルジン・パウリスタ区の「割烹寿し安パウリスタ」が11日をもって閉店する。かつて日本移民や界隈に住む日本企業の駐在員たちがこぞって訪れ、老舗の一つとして名を馳せた。寿司と刺身を中心にあらゆる日本食のメニューが揃い、98年には『ヴェージャ・サンパウロ』誌の最高日本食レストランに選ばれている。常連の一人、奥野孝志さんは「ここは何でもおいしい。サンパウロで本格的な味を出して生き残っている数少ない店だった。とても残念」と語った。
2階には座敷席もあり、定額食べ放題スペースを含め、計200人以上を収容する当地で最大規模のレストランだ。
閉店を考え始めた背景として、店主の氏家保一さん(やすかず、73、神奈川)は「不況で多くの駐在員が帰国し、客足が遠のいた。それに駐在員も世代交代し、以前のように日本食を食べる人が少なくなっている」と分析した。
また8年前、左派のルーラ政権が発足して以降、労働者保護が手厚くなった影響もあり、大型店ゆえに大打撃を受けたとか。「色々大変だった」とため息をつく。
市内にあまたの日本食レストランがあるが、氏家さんに言わせると「日本で修行したことがなく、ろくに魚の見方もわかっていない料理人が多い」とし、ブラジル人が好む味が当地の「日本食」として定着してしまっている現状を嘆く。「寿し安」の客層もほとんどが非日系人になってきているという。
氏家さんは61年、23歳で渡伯した戦後移民。日本では若い頃から親戚が経営していた銀座の割烹で修行を積んだ。「素材は新鮮さが命」とし、自ら魚市場に足を運ぶ。スタッフに対しても非常に厳しいことで知られている。
「名前だけがほしくてうちで働いて皿洗いしかしたことないのに、今じゃ他の店で寿司を握っている奴もいますよ」と苦笑する。
氏家さんは閉店後、リベルダーデ区に新たな店舗の開店を考えているという。中国料理、韓国料理が台頭する同区で、質の高い日本食の店を小規模で経営することを考えているそう。「新店舗は労働法に見合った形で経営する必要がある。もう一度小さなことから始めていきます」と笑顔を見せた。13日は長年の常連客を集めて閉店パーティーが開かれる。
なお、東洋街には氏家さんが45年前に創業して息子のパウロさんに譲った「寿し安」があるが、そちらは別経営なのでそのまま継続される。
この大型店ですら入りきれないほどの客が溢れた時代があったことを思えば、大きな時代の変化に直面している。駐在員の味覚も西洋化した世代に入り、戦後移民も高齢化する中で、市場から求められる日本食が変化しているようだ。