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イビウナ庵便り=中村勉の時事随筆=生き方=11年6月6日

ニッケイ新聞 2011年6月8日付け

 日本を含む世界の幾つかの国で、幸福指標なる尺度を作ろうとしているらしい。
 その背景には、GDPが大きくなっても国民が幸せにならない苛立ちがあるらしいのだが、金持ち必ずしも幸福でないことは昔から知られた事実ではなかったのか、「今頃なぜ?」と不思議な気持になった。又、そもそも生き方を意識しないで何となく日を送っている者にとって幸福云々はあるのだろうか、大多数は何となく生きているのではなかろうか、と根っこのところで疑問を抱いた。
 自由に生きる幸せを感じている者にとって、お仕着せの生活以上に幸福に程遠いものはなかろう。「幸福」と「指標」とは相互拒否反応を起す言葉ではないか?
 神とは無縁に何となく日を送っている幸せびとも或る日「これでよいのだろうか?」と思う瞬間がある。例えば、今回の東日本大震災や福島原発事故に遭遇した時だ。これを「宗教的時間」と言ってよいのかも知れない。
 日本中がReligious moment(編註=宗教的時間)を体験し、自らの「生き方」に思いを致しただろう、と想像し、これで日本は打って一丸となり国難に立ち向かうだろう、と思った。が、どっこい例外もあった。政治家という生き物だ。この国難の真最中に首相の首をすげ替えるべくドタバタ劇を演じて見せた。政治家の業(ごう)と言うべきか、何となく悲しくなった。この一座は、国民の為だと演じ続ける積もりだ。
 「秘書の犯した罪は国会議員の罪だ」「普天間の移転先は最低でも沖縄県外だ」「Trust me(私を信じて)」「国会議員も辞める」と発言、どれも実行しなかったあの鳩山さんが菅首相、岡田幹事長に「嘘はいけない」とTVでお説教するのを見て、不思議な生き物を見ているような気がした。日経の春秋氏は、鳩山さんは大政治家だと揶揄。
 「原発の発電コストが歴代政府、通産省の公表しているキロワットアワー(時間あたりのキロワット数)当り5.3円ではなく、2倍の10.68円だと立命館大学の大島教授が週刊ダイアモンド2011.5.21日号で述べている」とのメールを頂いた。競争の結果でない独占体制のコストは勿論、経済学でいうFair valueでなく、電力会社の言う「コスト+適正利潤」も不透明な用語だ。その背後に、政治家のドタバタ劇の秘密も、悪銭も隠れているかも知れない。フクシマはこれからも真実を暴き続けるだろう。
 3・11は日本人に「生き方」を問うた。今や、日本は世界からフクシマ情報の透明化・迅速化、と共有を求められている。日本文化の特殊性を楯に隠しごとは出来なくなった。パラダイムが変わったのだ。やがて全てが白日の下に晒されるに違いない。政・財・官創作の「安全神話」に潜む秘密も、時間の問題で滲み出てくるだろう、そして、始めて新しい日本が誕生する。