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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年6月10日付け

 突然、向こうから走ってきた薄汚いかっこうをした若者が数メートル先で倒れこみ、目の前に真っ赤な飛沫が散った。「ヤバイ」と瞬間に思った。向こうから撃たれて血飛沫があがる映画のシーンそのものだった▼その後ろから前掛けをした店員風の男が駆けつけ、倒れた男を羽交い絞めにし、道路を反対側に渡りかけている別の若者に向かって親指を立て、「オブリガード!」と短く叫んだ。その若者は後ろを振り返ることなく、車をすり抜けるように反対側の歩道の人ごみに消えていった。あっという間だった▼何が起きたのかと記憶を巻き戻す。たしか「そいつを捕まえてくれ!」と店員が叫び、その前を薄汚い男が逃げて走ってきて、消えた若者にちょんと足をかけられ、前に身体を投げ出すように倒れ、手にもっていた盗品と思しき赤ワインが地面にぶつかって飛沫となった。あまりに一瞬だった▼それにしても盗人に足をかけてクルッと後ろを向き、大通りを渡って反対側の人ごみに消えていった若者の、あまりに見事な手際に驚いた。まるで武道の達人のような早業、そして仕返しをされないよう盗人に顔を見られる前に姿を消した様子に、ブラジル人の持つ〃瞬発力〃を感じた。名も知らぬ若者の瞬時の判断、そして実行力、的確に戦線離脱する様子に、感嘆を禁じえなかった▼とっさの時に発揮されるこの力は、何かブラジル人が持つ国民性のような気がする。なにか大きなイベントや事業が直前まで計画が遅れていても、なぜか最期には帳尻を合わせてしまう、あの力に通じる。なんのかんの言っても、おそらく立派なサッカーW杯を実施するに違いない。(深)