ニッケイ新聞 2011年6月11日付け
ボサノヴァを創成したとされ、『ボサノヴァの神様』とも呼ばれたジョアン・ジルベルト・プラド・ペレイラ・ド・オリヴェイラ氏が、10日に80歳の誕生日を迎えたと同日付フォーリャ紙が報じている。
ジョアン・ジルベルト氏の神話と謎は、1958年7月にアントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・デ・モライス作詞のサンバ『想いあふれて(Chega de Saudade)』を録音したことに始まり、独特の発声とギター奏法による曲は、ブラジルのポピュラー音楽をボサノヴァ誕生前と後に分けた。
ハーモニー、リズム、発声、奏法など全てが新しいこの曲がラジオで頻繁に流れ始めると、全国の若者達が固定概念にとらわれない生き方があると考えるようになり、彼のような「変人」がいるなら、自分も自分の賜物を生かした職業に付きたいという人が増えた。
彼のアルバムは飛ぶように売れたが、彼は決して人気の証となる国民的雑誌などには出ようとはしなかった。一時薬物にも手を出した彼は、コパカバーナ区のアパートで隠れて過ごし、後にイパネマ区へと移った。隣人からも隠れながら過ごし、最も近しい友人でさえ親しかったとはいえない。
いつも人目を避けていたジョアン氏だったが、人前に出れば必ず大きな反響を呼び、変わり者と呼ばれることもあった。ボサノヴァは、ジョアン氏が幾日もバスルームに閉じこもってギターを鳴らす試行錯誤の末、それまでにないスタイルの奏法を編み出したことで誕生したという逸話まであり、世界中に語り継がれている。
「新しい傾向」「新しい感覚」などという意味があるボサノヴァは、中産階級の若者達の求めていた心地良く洗練されたサウンド、「新しい感覚」のサンバとして成立した。ボサノヴァをジャズの一種と見る見方もあるが、少なくとも本来はサンバの一種。その出現はブラジルのポピュラー音楽に大革命を起こし、世界中の音楽界にも大きな影響をあたえた。
1950年代〜60年代に作られたボサノヴァの多くは、爽快さ、親しみやすさから、今なお世界各国で聴かれ、歌唱・演奏の題材として頻繁に取り上げられている。
一方、「ザ・ビートルズがボサノヴァを殺した」という言葉があるように、ボサノヴァのアメリカ上陸はビートルズの上陸とかぶっており、もしザ・ビートルズが出てこなかったらボサノヴァがアメリカ及び世界中のポピュラー音楽の中心になっていたのではないかとまで言われている。