ニッケイ新聞 2011年6月11日付け
ブラジル日本移民史料館(栗原猛運営委員長)が2月中旬から4月まで企画写真展「戦前移民船展」を開催したが、その内容を一冊の本にまとめてこの度、『ブラジル日本移民に貢献した戦前活躍した移民船』(同史料館刊、日ポ両語、114頁、白黒、30レアル)として出版した。戦前移民船34隻の写真が一堂に会し、なおかつ全てのサントス到着日、その後の経緯までが記されており、戦前の移民船で来たものにとっては思い出深い本となっている。同史料館(11・3209・5465)で販売されており、ファミリアの歴史を孫やひ孫に語るときなどに絶好の一冊と言えそうだ。
この企画写真展には約1500人が来場し、多くの移民が懐かしげに展示に食い入る姿が見られた。来場者が残したメッセージには「懐かしくて涙出て物が言えませんでした。ありがとうございました」(憩の園、斉藤しづまさん)などとある。それを見た栗原運営委員長は「一つの資料として残さねば」と考え、本にまとめた。
最も有名な船は最初の「笠戸丸」だが来伯航海はわずか1回、最も高貴なのは1917年に渡伯し13人しか運んでいない「伏見丸」だ。18年に東伏見宮親王の渡米、22年には朝香宮の渡欧にも使われ、「客室の装飾は桃山風の豪華なもの」とある。
最も人数を運んだのは32回の最多航海数を誇る「らぷらた丸」だ。26年から39年までに計1万8404人を運んでいる。最終年にはなんと4回(2月、7月、9月、11月)も来伯した。つまり戦前の全移民19万人の10人に一人はこの船できた。
その次は26年から41年までに27航海した「もんてびでお丸」で1万6166人、続いて「さんとす丸」は26年から39年までに26航海して1万6913人を、その拡大改良型「ぶえのすあいれす丸」は23航海で1万4835人を運んだ。
前記4隻だけで6万6318人を運んでおり、戦前の3人に一人に匹敵する。残念なことに「第二雲海丸」(13年サントス着の1航海のみ)の写真だけが欠けている。
栗原運営委員長は「ぜひこの写真集が多くの皆様に読み継がれ、一層の興味を喚起できれば」と語り、手に取ってみることを呼びかけている。
なお、10日夜から30日まで、パラナ州ロンドリーナ市の市立図書館(Biblioteca Publica Municipal de Londrina)で、史料館が提供する移民船の写真を使って、ロンドリーナ州立大学が独自に企画した写真展「Paisagens Flutuantes – Navios de Emigracao Japonesa ao Brasil」(浮遊する風景・ブラジル日本移民船)が行われており、同会場でこの本を購入することができる。