イビウナ庵便り=中村勉の時事随筆=良い、だが不足=11年6月13日

ニッケイ新聞 2011年6月16日付け

 有機農法、自然農法は良いと思われるが、広がらない。福岡正信著「わら一本の革命」や木村秋則著「リンゴが教えてくれたこと」を読んで、その生き方に魅せられるが、その農法は主流にならない。
 すばらしいが、それは一人の人間としての素晴らしさだ。自給自足の生活を前提にした場合、その人生哲学は成立つが、地球上の70億人を食べさせるという前提では、果たして成立するだろうか。江戸時代の農法は、自然農法に近いと言うが、2700万人(江戸時代の日本の人口)しか食わせられなかった。
 自然エネルギーについても同じことが言われている。フクシマ後、脱原子力でドイツが先陣を切り、イタリアは原発の是非を国民投票(12—13/06)にかけ、日本は自然エネルギー普及に転換する構えだ。しかし、原発なしでは、世界の人口を賄えないし、後進国の経済発展は望めない、と言うのが大方の見方だ。「自然エネルギーで国民の生活を賄えるのは先進国だけだ」と世界エネルギー会議のアフリカ代表が発言していた。
 江戸時代には電気はなかった。現代の日本は電力にどっぷり浸かっているので、原発なしでも現在の人口を賄っていけるだろうが、原発の有無では経済の国際競争力に差が出るだろう。海外へ生産拠点を移す企業が増え、海外居住者も多くなる、と思う。世界の環境も変わった。かつては、国が人や企業を選んだが、今や人や企業が国を選ぶ時代になった。海外居住のノウハウも蓄積されてきた。
 原発コストはフクシマ後、様変わりするだろう。安全対策コストが大きくなるからだ。元々原子力の強みは巨大なエネルギーにある。それは同時に危険という弱みを意味する。制御出来ないエネルギーは使用できない。使用不可能であれば、存在理由を失う。又、危機管理とは想定外に対しての備えであってみれば、コスト・セービング要因になり難い。今般のフクシマ事故は、この点で様々な教訓を残した。脱原発とは、解釈の仕方によっては、現下、制御可能にするコスト+危機管理コスト=青天井(無限)という判断だ、と言える。今後の制御技術と管理方法の向上に期待したい。
 食もエネルギーも人口の関数だ。人口が少なければ、安全で良質な食物も安全安心して使えるエネルギーも達成可能だが、益々増加する世界人口を考慮すると、自然農法も自然エネルギーも「良い、だが役不足」となり、世界基準にはなり得ない。
 世界は二極化するのだろうか、割高な自然エネルギーの国々とそれ以外の国々とに。