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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年6月18日付け

 きょう6月18日は「移民の日」—。ここ10数年、年を経るに従いミサや仏式法要は列席者が少しずつ減っていくのは、何とも寂しい。だが、これも致し方ないと諦めざるをえない。今や日系は150万人を超えているが、増えているのは4世や5世が次々に生誕しているからだし、逆比例して一世移民は減る一方なのである。恐らく、もう5万人を割っているだろうし、これからも急速に減ってゆく▼笠戸丸の781人に始まる日本移民は、1960年代までに20数万人が、あの懐かしい蚕だな式ベットで眠り、昼は同船者らと歓談し荒れ海を40数日も航海し、サントスの港に着いた。それから汽車に揺られ、サンパウロの移民収容所から配耕地に向かった。翌日からはエンシャーダを手にコーヒー栽培の除草などに励む苦しいコロノ暮しが始まった▼こんな旧移民らには、志半ばにして倒れた先輩らを慰霊するのは、当たり前のことであり、これは戦後になっても同じだし、「移民の日」は一世移民の心の拠り所であり、将来の発展を願う祝いの日でもあった。しかし、3世にもなると、こんな意識は薄れ、4世や5世ともなれば、もはや「移民の日」は、忘れられる時代なのである▼しかも、4世になると、日系人同志ではなく、ブラジル人との結婚が60%超となれば、もう日本文化の話どころではない。振り返ると、「移民の日」が盛大に盛り上がったのは、60年代から70年代であり、日本移民が第一線で活躍していた頃である。それが、年々、寂れるのは、やはり歴史の流れと見るべきだし、深く—嘆くこともない。(遯)