ニッケイ新聞 2011年6月21日付け
ここサンパウロにも、日本の緑茶があり、戦前の移民らも楽しみにしたものらしい。恐らく—レジストロの故・岡本寅蔵さんらが、茶の木を植え焙炉にかけ製茶したものだろうが、1日の仕事を終えたときの一服は、疲れをも吹き飛ばしたに違いない。我々、戦後派は若いせいもあって余り煎茶は好きではなかったが、たまに祖母が船便で送って呉れたのをコロニアの先輩らに届けると大喜びだった▼それから年を重ね不惑にもなると、奇妙にお茶が飲みたくなり急須と茶碗を取り寄せ喫茶し喜んだりもする。と、言っても、故郷は遠いし茶が切れることも多く、コロニア茶にするのだが、どうも味と香りも日本のようなわけにはいかない。それでも—東京・日本橋の山本山が進出し今や煎茶や番茶をパックにし、かなりよくなったが、やはり宇治・静岡や八女茶とは異なる▼などと綴っても、茶の話は苦手だし、第一—よく知らない。急須も常滑や瀬戸の磁器だし、茶碗の名品も写真で観るだけと、富には縁がなく何とも貧しく侘しい。せめて心を大きくし気宇壮大な茶をと思ったりもするが、所詮は勝手流で煎茶道や栄西禅師の「喫茶養生記」とは遠い。江戸中期に活躍した黄檗宗の僧・賣茶翁(高遊外)は、煎茶道の祖とされるが、どうやら茶と禅は切り離せないものらしい▼と、難しい話は置くとして最近は、サンパウロでも煎茶道が盛んになっているようだし茶の会?を拝見したが、ちょっと面倒な気もするので遯には無理だが、やはり煎茶を淹れる方たちの仕草がとても美しい。あの美を見習わなければ—と思うのだが—さて。(遯)