ニッケイ新聞 2011年6月25日付け
2009年12月にサンパウロ市の地下鉄で保護されたハイチ出身の少年が、関係諸国の法の壁に阻まれ、1年半経った今もフランス領ギアナに居る母親との再会を果たせず、母親は毎日泣き暮らしていると23日付エスタード紙などが報じている。
サンパウロ市東部イタケーラ・コリンチアンス駅で、ポルトガル語を離せない少年が保護された—。中南米で暗躍する人身売買組織の手でブラジルに連れて来られた当時11歳の少年は、母親の許に返すべしとの判決後も、家族との再会の目処も立たないまま、国内の施設に止まっている。
09年にサンパウロ市で保護された少年が人身売買組織の手に落ちたのは、2003年に夫を亡くし、生活の術を失ったディエウラ・ゴインさんが、幼子2人を親に預けてフランス領ギアナに渡った事に端を発する。
ギアナで現在の夫に出会った母親は、夫の了承も得、紹介された人物に2千ドルを払って子供達をギアナに連れてきてくれるよう頼んだが、この人物が国際的な人身売買を行う〃コヨーテ〃の関係者であった事が、家族が3つに分断されるという悲劇を招いた。
ギアナに居る母親の所に連れて行ってやると言われた弟が、大人3人に付き添われ、他の少年ら13人と共にハイチを飛び立ったのは09年12月1日。パナマ、ペルーを経て12月15日にアルゼンチン入りし、サンパウロ市ではぐれたと見られる少年は、狭い場所に長時間閉じ込められていた事などを窺わせる行動をとっていたという。
その後の調査で、母親がフランス領ギアナに、兄がハイチに居る事が判明。グローボ局が両国で取材した様子は4月17日の番組で報じられており、子供2人を連れてくるよう頼まれたコヨーテは一人だけ連れてハイチを出た上、ブラジルから更に2千ドルを請求する電話をかけていたという。
ブラジルが外国人向けに出すパスポートではフランス領ギアナには入国できないため、少年にはハイチの旅券が必要だが、出自を証明できる書類がないため、1年半経った今も旅券が出ない。ブラジル側が再度ハイチ大使館に働きかけたが、発給には最低数週間かかる。
また、もう一つの壁はフランス側の対応で、正式な婚姻届が出てなかった母親は、ギアナでは不法滞在者。正規の滞在許可と信じていた書類が手続き開始を証明するだけと告げられた母親は、毎日を泣き暮らしているというが、少年に入国ビザが出るのは母親の滞在合法化から最低1年半後。
09〜10年にブラジルに入国したハイチ出身の子供は約50人。入国記録はあっても出国記録はなく、入国管理の甘さが目に付くブラジルには、イタリア人亡命者のケーザル・バチスチ氏への永住ビザ発行などの柔軟さがあるが、家族から引き剥がされた少年にとって、国際的な法の壁は永遠を感じさせる厚さに違いない。