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教育界の重鎮レナト氏逝く=Enem導入した元教育相

ニッケイ新聞 2011年6月28日付け

 フェルナンド・H・カルドーゾ政権の教育相として、基礎教育保持開発基金(Fundef)や国家高等教育試験(Enem)などの導入を果たしたパウロ・レナト氏が25日夜、急逝し、27日午前、サンパウロ市モルンビーの墓地に埋葬された。
 27日付伯字紙によると、サンパウロ州サンロッケで家族や友人と週末を過ごしていたレナト氏は、ダンス後に眩暈を訴え、意識を失って病院に運ばれたが助からなかった。
 南大河州ポルト・アレグレ生まれの同氏は、同州連邦大学で経済学を専攻。カルドーゾ政権で教育相を務めた他、フランコ・モントロサンパウロ州知事時代の1984〜86年と、ジョゼ・セーラ知事時代の2009〜10年にサンパウロ州教育局長も務めた重鎮で、ブラジル民主社会党(PSDB)創立者の一人でもある。
 子供3人と孫6人を残し、65歳という年齢での予期せぬ死は多くの人に惜しまれ、チリ亡命中からの友であるカルドーゾ元大統領は、哀悼の意と共に「常に国民の事を考え、教育の充実に尽くした人物で、ブラジルの教育の基礎を築いた」との賛辞を贈った。セーラ元サンパウロ州知事も、「ブラジルで最も功績の大きい教育相で、わが国の教育はレナト氏以前と同氏以後に分けられる」と賞賛している。