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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年6月30日付け

 安田ファビオ氏が88歳で亡くなった。1969年10月、ブラジル日系人初の大臣に就任した。パウリスタ新聞をめくってみると、5日連続のトップ記事。見出しから当時のコロニアの喜びを振り返ってみたい▼「積み上げられた日系の信用」「喜びでいっぱいの安田家」「すばらしいホームラン」「元気はつらつ母親と一緒に安田大臣」と続き、就任式を受けた30日付けでは、全段ぶち抜きで「日本移民史に輝く1ぺージ」と破格の扱いだ▼同紙記者座談会では、「何かして欲しいという気持ちを捨て、コロニアは大臣が十二分に活躍できるようバックアップすべきだ」としている。しかしその椅子に座ったのは、わずか8カ月。日伯毎日新聞の連載をまとめた『顔』で一百野勇吉編集長は、その理由の一つに「—出処、好き嫌いがはっきりしている。自分でこうと思うと—」と側近のコメントを載せている。父親は笠戸丸以前に来伯した鹿児島出身の安田良一。頑固者を意味する「ぼっけもん」の気質があったのか▼反ゼツリオ学生運動に熱をあげ、「勉強ぎらい」で大学を中退。営農後、コチアに入り、パライーバ地区代表で理事会に。〃安田専務時代〃といわれるほどの辣腕をふるった、と『顔』は紹介する。日本・ブラジル経済委員会を通じて日系企業の進出を促進した。安宅産業とのニッケル鉱開発、日伯合弁での石油化学コンビナート建設にも関わったとか▼昨年末にあった文協55周年の式典会場で言葉を交わしたことがある。丁寧かつ堂々とした紳士だったことを記憶している。ご冥福を祈りたい。(剛)