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柔道から相撲に華麗なる転進=15歳で180センチの体格

祝103周年 移民の日特集

ニッケイ新聞 2011年6月30日付け

 リカルドは86年12月18日、サンパウロ市サンタカタリナ病院で3人兄弟の長男として生まれた。出生体重は3・8キロと平均より重かった。両親は共働きだったため、夕食は祖母の正子(79、愛知)が作った。「みそ汁、豆腐など日本食が好きでね。玉子焼きを自分で作っていたよ」と正子は振り返る。週末には近所の日本料理店カマクラで寿司や刺身を食べた。
 小学生の頃からドラゴンボールなど日本の漫画の絵をよく描いた。母親は「家で壊れたものを直したり、とても器用。勉強は好きじゃなかったみたい」と遠くを眺める。
 次男のレナト(22、三世)は、「10歳頃まではよく兄と喧嘩して、いつも僕が負けていた」と笑う。「兄と違って運動は本当にだめ。勉強は僕の方ができてバランスがよかったかな」と冗談めかす。末っ子のナタリア(15、三世)はリカルドのあぐらの上でテレビゲームを教えてもらった事を思い出す。
 幼い頃からスポーツ好きだったリカルドは15歳の頃から柔道を始めたが、180センチと体格に恵まれていたこともあり、練習相手がいなかった。一郎はブラジル相撲連盟の篭原功会長と知り合い、「体格を生かせる」と相撲を勧められた。毎週土曜日に一郎の車でサントアマーロの稽古場に向かい、日曜はバスと電車でボン・レチーロの稽古場に通った。
 すぐに才能は開花し、次々に優勝をさらった。04年7月には大阪で開催された世界ジュニア選手権大会で3位入賞。05年の全伯相撲大会無差別級で優勝を飾る。リカルドの角界挑戦への決意はこの頃固まった。
 05年12月に元若東・黒田吉信を通じて友綱部屋を紹介され、06年7月14日、スーツケース一つにリュックを背負って訪日した。グアルーリョス空港には家族の他に相撲友達約20人が詰めかけて見送った。——それから6年、大志は実現されつつある。(敬称略)