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リオ=作曲家のブランコ氏死去=数々の名曲を作った建築家

ニッケイ新聞 2011年7月9日付け

 リオデジャネイロ市チジュッカ区のパナメリカノ病院で8日早朝、歌手で作曲家のビリー・ブランコ氏(87歳)が亡くなったと同日付G1サイトが報じている。
 ボサ・ノヴァ歌手の中でも重要な人物の1人とされる彼は、脳梗塞で倒れた2010年10月から病院の集中治療室で加療中だった。
 ブランコ氏は500曲以上の作品を世に送り出しており、彼の曲はジョアン・ジルベルトやエリス・レジナ、ディック・ファルネイなどといったMPB(ブラジル大衆音楽)を代表する歌手によって歌われてきた。また、彼自身、トン・ジョビン、バーデン・ポウェル、セバスチアン・タパジョスなどといった歌手とデュエットしている。
 本名はウィリアン・ブランコ・アブルニョザ・トゥリンダデで、1924年5月8日にパラー州ベレン市で生まれた。1940年代には、建築家を目指してサンパウロ市の大学へ通い始めたが、1946年にリオデジャネイロ市の大学に転校し、1950年に卒業した。
 子供のときから音楽が好きだったブランコ氏は、リオ市に住んでいた1950年代には既に、彼の歌うサンバとその歌詞が注目を浴び、ボサ・ノヴァの先駆者の一人となった。
 彼の作品は、愛や失望について、身近な出来事をユーモアを交え、または情熱的に書き上げるのが特徴で、当時の一般的なサンバと異なった作品は、歌手たちの注目を集めるようになった。
 初めて作曲したのは1951年の「パラ・ヴァリアル」で、最初のヒット曲は、イネジタ・バーロゾの声で1954年にアメリカのレコード会社RCAVictor録音の「エスタトゥットス・ダ・ガフィエイラ」。