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軍政時の政治犯が証言=メルリノ氏の死因を究明=ウストラ大佐からの指示か?

ニッケイ新聞 2011年7月29日付け

 ジャーナリストのルイス・エドゥアルド・ダ・ロッシャ・メルリノ氏が1971年、DOI—Codi(反政権者に対する抑圧的機関)による拷問を受けて死亡した件に関し、1964〜85年の軍事政権下の政治犯6人が27日に証言を行ったと28日付エスタード紙などが報じている。
 当時、労働共産党(POC)党員で23歳だったメルリノ氏は、1971年7月15日にサントス市の自宅で拘束され、19日には彼の遺体が法医学研究所に運ばれた。しかし、検死では護送車から逃げようとして、車に轢かれて亡くなったと発表された。
 証人の1人でルーラ政権時代の人権大臣だったパウロ・ヴァンヌッシ氏は、1971年当時、自身もDOI—Codiによって拘留されており、地下室で死にかけたメルリノ氏らしき人物を見たと証言している。また、証人の中には、当時同機関の総司令官であったカルロス・アウベルト・ブリリャンテ・ウストラ大佐から直接拷問を受けたと話す人もいた。
 当時医学生だったヴァンヌッシ氏はメルリノ氏らしき人物を最後に見た人物の一人で、その時の様子を「第3独房のドアの前に血行障害で片脚がチアノーゼを起こした男性が連れて来られ、オリーブ色のズボンを身に付け、ボリビア系の名前で先住民族の特徴を持った看護師からマッサージを受けていた。マッサージは私の独房の前にあった机の上で行われていたので、私は彼の名前を尋ねてみた。彼の声は非常に弱っていてはっきりとは聞き取れなかったが、メルリノと聞き取れた」と供述した。
 一方、拷問執行責任者として控訴中のウストラ大佐はサンパウロ市セントロの法廷で行われた公聴会には出席しておらず、唯一出席した弁護士のパウロ・エステーヴェス氏は、「彼(ウストラ大佐)は全てを否定している。拷問には参加していない」と発言し、「ウストラ大佐はDOIを指揮していたが、暴力的な人物ではなく、拷問も命じていない」と説明している。
 公聴会が行われた法廷の外には、当時行方不明となった人達の写真や軍政に反対するプレートを手にした人約30人が集まり、抗議を行った。
 ウストラ大佐に対する事情聴取は今後、大佐が住むブラジリアで行なわれるが、弁護側は、例え実際に犯罪を行っていたとしても、もう既に時効が成立しているため、処罰の対象にはならないと考えている。