ニッケイ新聞 2011年8月26日付け
ブラジル茨城県人会(小林操会長)は会創立50周年を記念し、同県人会50周年記念追悼法要ならびに東日本大震災物故者追悼法要を21日、同会館サロンで執り行なった。記念式典・祝賀会も開かれ、母県から訪れた山口やちゑ副知事、生活環境部国際課の石寺真課長補佐をはじめ、多くの県人が入植したグァタパラ移住地の数十人を含む会員ら160人以上が集い、半世紀の節目を共に祝った。
来賓として在聖日本国総領事館の大部一秋総領事夫妻、安部順二連邦下議、山下譲二文協副会長、原島義弘県連副会長、両親が茨城県人の二世、モジ・ダス・クルーゼス市会議員の富山オリンピオ氏らが訪れた。
会場には国際課提供による被災した県の港などの写真が約20枚展示され、訪れた人の関心を集めていた。
東本願寺の菊池顕正導師により会と母県の先亡者、震災犠牲者への法要が午前10時過ぎからあり、小林会長に続き、参加者は順に焼香を上げ先人の冥福を祈った。
記念式典では日伯両国歌斉唱の後、挨拶に立った小林会長は「時代の荒波の中、会を通して団結し励まし合い、沢山の思い出を作ってきた」と語り、「かけがえのない歴史を記録にとどめ、子供達に残そう」と、50周年記念誌発行への協力を呼びかけた。
山口副知事は県の被害状況について「死者は24人、港を中心に被害を受け、完全復旧には3年かかる」と報告。義捐金への謝意を述べ、橋本昌知事の挨拶を代読した。
さらに両親が茨城県出身の大部総領事や、原島副会長が挨拶、安部連邦下議は議会からの感謝状を県人会に贈呈した。
県人会から県へ記念品が、県からは会長経験者6人、富山市議、85歳以上の高齢者40人、邦字紙2紙へそれぞれ感謝状が贈られた。
高齢者を代表して挨拶した根本次男さん(94)は、「故郷の復興を1日も早く祈る。命尽きるまで日伯親善に尽くします」と力強く語った。
その後開かれた祝賀会では、鏡割りの後、食事を囲んで会場は和やかな雰囲気に包まれた。
グァタパラ移住地から訪れた水戸市出身で同移住地第一陣の黒澤允晴さん(83)、志賀子さん(81)夫妻は「立派な式典でした」と笑顔を見せ、「色々な思い出がある。頑張ってくれた同郷の方々を弔いたかった」と参加理由を語った。
亡夫が茨城出身の小林エリーザさん(90、福島県系二世)は、夫がパラナ州アサイ支部で世話役などを務めたといい、今でも県人会の催しにはよく参加している。「素晴らしかった。来てよかった」と嬉しそうに話していた。
最後まで会場に残り、訪れた人と笑顔で言葉を交わしていた山口副知事は、「皆さんが茨城との架け橋になってくれている。ブラジルで成功して幸せなんだなと嬉しく感じる」と話していた。
茨城県人会、50年のあゆみ
日伯毎日新聞社長で西茨城郡岩間町(現笠間市)出身の中林敏彦氏が日本を訪れたさい、岩上二郎知事(当時)から会創立の依頼を受けた。
1961(昭36)年5月に知事ら一行が来伯、歓迎会の席で会創立が決定し、初代会長に中林氏が就任した。
65〜76年には会事務所の購入、県人実態調査の実施、留学生派遣開始、いばらき国体への訪日団結成など、会の活動が定着。83〜85年には新装した県人会館で活動を拡大、ピクニック、芸能祭、俳句会、将棋・囲碁大会等が始まった。 また「二世会」を発足、同時に留学生の人員増加と技術研修生の受け入れを実現した。
85〜87年には里帰り制度を確立、ほぼブラジル全土の地域を網羅した県人家族調査が行われた。
91年以降も30周年祭の盛大な開催、婦人会の創立など発展を続け、現在は書道教室など文化活動で有名。
移住史に名を残した同県出身者としては、通訳五人男の一人、加藤順之助、元在聖日本国総領事の市毛孝三、南米浄土宗別院日伯寺を開いた長谷川良信氏などがいる。(同会30周年記念誌『ブラジルの茨城』から抜粋)