ニッケイ新聞 2011年8月26日付け
なぜ百年祭では一般社会からあんなに盛大に祝われたのかをずっと考えている。もちろん日本移民の貢献への高い評価がそうさせたという意見には同意するが、それだけではドイツ系やイタリア系より盛大であった理由は説明しきれない気がする▼知人が通っているバレエ教室のブラジル人教師が、ある日系二世を「セグンダ・ジェラソン。ブラジルで生まれたジャポネースね」と評したとの話を聞き、考え込んだ。一般ブラジル人の多くは一世と二世を我々ほど区別していない▼ジャポネースと一括りにされるのは見かけによる部分が大きい。ブラジルの三大構成要素たる白人、黒人、インディオではないアジア系は一見して区別されやすい。目の前のジャポネースが当地生れのブラジル籍者かどうかより、見かけだけで判断する。二世にしてみれば迷惑な話だ。つまり百周年の時、我々は一世二世の区別なくジャポネースとして祝われた気がする▼ブラジル人は客人に対して驚くほどのオスピタリダーデを発揮して丁重に迎える。つまり百周年で我々が大変なもてなしをされたのは、家人ではなく客人として扱われたからではないかと思い至った。実態としての二世以降の世代は急速にブラジル人化しているが、一般社会からの先入観は依然としてジャポネースに留まっている▼百年祭の時にリベルダーデ駅構内にはよく日本語看板が掲げられ、まるで日系人みんなが日本語を読めるかのような誤解をスポンサーや広告代理店がしていると感じた。一般社会から見たコロニア像と、実態はだいぶズレている。そんな誤解があることを自覚し、むやみに日系人としての自尊心を高めすぎず、謙虚さも忘れないことが大切だ。(深)