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旧都で育むニッポン~ペトロポリス「BUNKA-SAI」~(終)=ロマンス風「姥捨て山」?=ブラジル人中心の珍しい文化祭

公演を終えた劇団メンバーの皆さん

公演を終えた劇団メンバーの皆さん

 日本の物語「姥捨て山」をもとに、非日系人が独自の脚本を書いて演じた芝居『Sabedoria dos Idosos(老人の知恵)』が14日午後6時から上演された。安見道子さんは、「老人を大切にというメッセージ。08年の日本祭りで上演して以来何度も公演していて、毎回満員になるほどの人気」と説明する。
 脚本・演出のジョゼ・カルロス・ダ・シルバさん(49)の本職は英語教師で、安見さんがボランティアで経営する、中高校の卒業資格をもたない成人を対象とした州立分校で教師をしていた。
 道子さんが持っていた日本昔話のポ語翻訳版に興味を示し、運営していた市内の大学生などから成る劇団で上演しようと、短い昔話を30〜40分の芝居用に膨らませてポ語の脚本を執筆。自らも出演した。
 着物の着付けなどを手伝う道子さんは、「着方が悪くてすぐはだけたり、田舎の子という設定なのに化粧を濃くしたりしますよ」と笑う。
 上演後は客席から大きな拍手が起こり、「パラベンス!」と声をかけられていたジョゼ・カルロスさんは、「皆楽しんでくれたようで良かったです」と満面の笑顔。
 プログラムが全て終了した後、文化祭開催中はイベントの準備や進行に一日追われていた安見さん夫妻は、夕食の席でやっと一息ついた。
 展示場には約3千人、演劇、ワークショップの参加者は1千人強、野外イベントは約4千人が訪れ、参加者に発行するオリジナル参加証は400枚に上った。
 昨年はストリートダンスやアニメの歌を唄うバンドが参加したといい、参加者の顔ぶれや演し物は毎年異なる。「そうじゃないと面白くないですからね」と安見さん。「何度やっても慣れないし、手も抜けません」。
 日本人や日系人の指導者をもたず、自分で練習に励む彼らの発表を「本当の日本文化ではない」と否定的に見る人もいるというが、道子さんは「多少違っていて当たり前だし、むしろそれで良いと思う。彼らが取り組んで一定のところまで到達するというのが大事」と語る。
 安見さんは苦労しながら文化祭を続ける理由を、「退職後に時間があるのでやっているんです」と笑いながら、「色々うまく行かないことも多いですが、人生は失敗が多いほうが後に残ると思うんです」という。道子さんも「こんなことをやったという満足感はあります」と、控えめながらも満面の笑みで語った。
     ◎
 ペトロポリス市はほぼ予算総額を占める5万レを提供した。大震災を受け、一時は外国でのイベント後援までも自粛すると申し出た日本側、つまり在リオ総領事館とは反対に、市は積極的に「被災者にエールを送るようなイベントを」と提案して実行した。
 外国からの大震災支援に対し、日本政府は感謝こそすれ、〃自粛〃する必要がどこにあるのかと思わされる展開だったといえそうだ。
 文化観光局のトロヤッキ氏は、「来年はパラナやサンパウロの団体とも交流できれば。日系協会の発展、日本文化奨励と普及は我々の使命です」と強い意欲を見せた。
 日系人はごくわずかながらも、市が先頭にたって費用を負担して日本文化普及を図っている例は、全伯的にみても極めて稀だ。来年以降も、杉村公使ゆかりの地ペトロポリスで、ブラジル人によって解釈し直された日本文化、つまり〃日系文化〃が花咲くことだろう。(田中詩穂記者、おわり)