ニッケイ新聞 2011年9月7日付け
ピラポ、イグアス共に9万ヘクタール(以下Ha)弱を誇るパ国移住地とブラジルのそれを比べてみて、規模の違いに愕然とした。ブラジルの直営移住地で戦後最大なのは、1960年に建設が始まった第2トメアスーの2万5800Haだろう。ただし、アマゾンでありテーラ・ロッシャ(以下、赤土)ではない▼当地の戦後移住地の雄であるグァタパラ移住地は1962年に開設され、来年50周年を祝う予定だ。面積は約7300Haとイグアスの10分の1弱の面積であり、やはり赤土ではない。リオ市から90キロの郊外にある今年50周年を迎えたフンシャール移住地にいたっては1015Haだ▼戦前移住地の代表格アリアンサ(第一から第三までの合計)は1万8654Haであり、イグアスの4分の1弱だ。戦前最大級のチエテ移住地なら一回り大きい11万3740Ha、バストス移住地は2万9千Haだ。戦前にはこの広さの移住地に2千家族、3千家族がひしめいていた。農業形態そのものがまったく変ったといえる▼参考までにパラナ州の元ウライ市長の市村之さん(92、新潟)の場合は、イグアス移住地から遠くないパ国のパラナ川近くの赤土に、個人で1万Haを所有して大豆を植えている。このような大規模農家とも競わなくてはならない。移住地の存続をかけた営農は難しい▼戦後のブラジルにはもう赤土の未開地はなくなっていたようだ。そんなことは50年代後半の日本ではまったく知られていなかったに違いない。大移住地だから良いとは限らないし、歴史に「もし」もないが、別の場所に入植していたら別の人生があったのかもしれない。(深)