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最も皇室に近い日系人=ブラジル日本会議=会長 小森広

ニッケイ新聞 2011年10月8日付け

 上野アントニオ義雄氏にはブラジル日本会議の初代会長に就任していただき、定款完了して正規団体として登録された後には、名誉会長になって頂いておりました。
 現役の連邦議員であった時代には、首都ブラジリアからサンパウロ市に戻ると当時の二世などを代表する数人を囲み、ニッケイパラセ・ホテルで食事会を設けていました。
 例えば参加者の一人は二宮正人弁護士であり、議会で討議されている諸問題に関する説明や、日系社会は今後いかに進むべきかについて、熱心な討議がされていたのではないかと推察します。
 天皇陛下への謁見は、実に約28回、皇太子様には18回と、おそらく最も皇室に一番近い日系人だったのではないでしょうか。
 パラナ州日本移民百周年記念式典では祝典委員長として皇太子殿下を迎え、ブラジリアでの政府による式典以降、各州都における祝典、締めくくりとしてパラナ州ローランジャにおける世紀の祭典を成功させました。
 以前の周年事業の際の、とっておきの逸話を教えていただいたことがあります。たしか、日本へ出発される皇太子殿下から、「実は母親(皇后陛下)から依頼されたものをすっかり忘れていた」との話が出ました。コーヒー豆を粉をひく器具を頼まれていたというわけです。
 時は日曜日、そこで上野氏は何とか手に入れて差し上げなくてはと、あらゆる人達を動員して探し出し、皇室に相応しい立派なものをなんとか手に入れ、土産にお渡ししたそうです。
 ブラジル日本会議が2003年10月に実施した第2回皇居勤労奉仕団に参加した際に、両陛下への謁見があり、その当日は紀宮清子親皇もご一緒でした。そして列の後方に並んでいた上野団員を見つけ、「あら、上野さんがいる」と両陛下にお伝えされたとのことでした。
 日系人であることに誇りを持ち、世界に類のない天皇家・皇室を戴いているという信念に生きた政治家でした。
 飯星ワルテル、ウィリアム・ウーの両氏が連邦議員に当選し、議員としての心構えを上野氏から拝聴した時には、8期32年間にわたる議員生活の大先輩に、二人とも真剣に耳を傾けたときいております。
 太平洋戦争終結から29年目にフィリピンのルバング島から帰還を果たした小野田寛郎さん(ひろお)が南マット・グロッソ州にファゼンダを買うときに、国境に近いので外国人が簡単に買えないとの話が持ち上がり困っていたところ、上野さんが相当力添えしたと、妻の町枝さんから聞きました。祖国の為に尽くされた小野田さんだからこそ、上野さんは尽力されたのではないでしょうか。
 パラナ州と兵庫県との友好使節団としても政治家、企業家等を率先して導いてこられた人でした。コロニア内におけるリーダーシップに加え、日伯両国の交流に果たしてきた功績を称えつつ、心からのご冥福をお祈りしたいと思います。