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沖縄で103年ぶりにはためく=笠戸丸移民=城間真次郎氏持参の日の丸=与那嶺会長「持ち帰る責任あった」

ニッケイ新聞 2011年10月12日付け

 【沖縄タイムス】1908年、移民の夢と希望を乗せブラジルの大地を踏んだ日の丸が、103年の時を超え、沖縄の地に戻ってきた。荒れ果てた大地での過酷な労働、低収入による苦しい生活。それでも人々は生きるため、貧しい故郷を助けるため、異国の地で懸命に働いた。103年間、人々を見守り続け、沖縄へ戻った日の丸は、移民が築いた歴史と子孫らの誇りを乗せ、8日、南風原の風にはためいた。

 08年6月18日夜、781人を乗せた笠戸丸は、サントスに入港した。県出身者は半数近い325人。総代として沖縄移民を率いた故城間真次郎さん=南風原村(当時)津嘉山出身=が先頭を切って船を降り、ブラジルへ上陸する際に掲げたのがこの日の丸だ。
 「日本代表として絶対に移民を成功させねばならないという城間真次郎と全移民の希望、決意が込められた日の丸だ」。昨年7月、ブラジルで旗を見つけた前南風原文化センター館長の大城和喜さん(62)は、ブラジル県人会会長で県系3世の与那嶺真次さん(61)に、第5回世界のウチナーンチュ大会で共に〃帰郷〃するよう依頼した。
 移民の歴史は苦難に満ちた。最初の農業地では生活が成り立たず、多くの人々は職を変え、サンパウロ市やアルゼンチンなどへ散り散りに。
 だが、そんな苦しい中でも、「移民の思い」を乗せた旗は、城間さんの孫、故宮城真次郎さんに引き継がれ、大切に保管された。
 現在、第1回移民の史料として残るのはパスポートと手帳だけだといい、大城さんは「公文書ではないが、初回移民の熱い思いがこもった物的史料で、その価値は第一級だ」と強調する。
 8日、同センターで行われた会見で与那嶺さんは「わたしには旗を持ち帰る責任があった。城間真次郎の思いを考えると感激だ」と満面の笑み。「苦しい時代に助け合ったウチナー社会の歴史を受け継ぐためにも、今後もしっかりと保存したい」と決意を述べた。
 旗は縦74センチ、横77センチの手書き。長期間、缶の容器で保管していたため所々にサビなどの汚れが見られるが、保存状態は良好だ。
 日の丸は、今月15日まで同センターで展示される。(大野亨恭)