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〜OBからの一筆啓上〜先人の残した〃栞〃=古杉征己(元ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年10月12日付け

 渡伯11年。ニッケイ新聞記者をスタートに、これまでいくつかの職場を渡り歩き、また、2年間サンパウロ市内の大学に通ってブラジル労働法を研究するなどした。
 邦字紙記者を辞めた後も、サンパウロ人文科学研究所の活動に参加して移民史を学んでいるので、日系社会と関わりを持って生活しているのは今も変わりがない。
 私が現在取り組んでいるのは、著述家アンドウ・ゼンパチ(本名・安藤潔、1900〜1983)の評伝。生誕110周年記念展が昨年末にブラジル日本移民史料館であり、来年は日本での開催が予定されている。
 アンドウは戦前・戦後にわたって、文筆により日系社会の文化的発展に尽くした人物で、同化、異文化への適応、子弟教育など様々なテーマについて論じた。相次ぐ肉親の死に苦しみ、清貧に甘んじながらも、ペン一本で生きたところに大きな魅力がある。
 「ブラジル史」「日本移民の社会史的研究」など、アンドウは数多くの著作物を残した。中でも、1930年代後半に遠藤書店の協力を得て、半田知雄(画家、1906〜1996)と発行していた月刊誌「文化」は興味深い。
 日伯両国でナショナリズムが高揚し、社会情勢が緊迫していく中で、移民のあるべき姿を問うているからだ。戦争という極限状況に直面したからこそ、日本人の本質に入りこんでいくことができたのだろう。
 周知の通り、戦前の日本移民は錦衣帰国するためにカフェザールでの辛い労働に耐えた。
 他方、衣食住を犠牲にしてまで経済的な成功を追いかけ、文化面を疎かにするものがいたことも確か。そんな一世の姿は、二世特にインテリ二世には低級なものに思えた。
 子供は、親の背中をみて育つもの。つまり、文化の伝承には親の影響が極めて大きいわけだ。
 「三十年の歴史をもつ邦人社会に、文化的な何物があるか」。アンドウは、知識や教養にあふれ、地域社会に貢献できるような人材を育成するために旗を揚げた。
 子弟教育や医療・衛生をテーマにした座談会、移民知識人の論説やエッセイ、人物紹介、文化・文明論の転載記事など、「文化」の内容は盛りだくさん。
 また編集部が地方に出かけていって、講演会を企画するなどした。ポルトガル語のページもあり、考古学や日本の仏教史などが紹介されている。
 アンドウは、同化論者だった。ただし、「日本的な要素をブラジル社会に残しながら」という条件付きでの同化だった。 彼の日本語教育観は戦後、コロニア版日本語教科書の基礎になり、日本の日本人とは異なる「コロニア人」という人間像をもつくりあげていく。 2008年の移民百周年のころからか、各地でインテグラソンという言葉を耳にするようになった。日系社会は今後いかなる形でブラジル社会に溶け込むかということが、議論の俎上に上っているわけだ。
 それは当に、アンドウや彼と同時代に生きた移民が向き合っていた問題と同じ。過去の資料・文献には、現代を解き明かすヒントが隠されているはずだ。
 先人の残した〃栞〃(しおり)をたよりに、日系社会の今そして未来を考察したいと思っている。