ホーム | 特集 | 【祝 福博村入植80周年】福博村80年の歩み

【祝 福博村入植80周年】福博村80年の歩み

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け

1931年3月:原田、古賀家入植。11月杉本家が入植
1933年6月:福博二五青年会創立。古賀茂敏会長
1934年10月:福博初の日本語学校が開校。服部信永教師
1935年1月:14人の会員で福博日本人会が創立された。原田敬太会長
1935年4月:福博日伯小学校が落成
1936年4月:第1回福博運動会
1936年12月:寺尾モトユキ氏が福博初の養鶏を始めた
1938年10月:初めて女子会が誕生した。土居トシ子会長。福博二五青年会は男子のみ
1938年11月:旧・青年会館が落成。豊田芳郎会長
1939年9月:政治警察が斉藤新日語教師拘束。スザノ産業組合発足
1940年4月:渡辺正治教師夫妻が8カ所日語巡回授業開始
1940年8月:青年会館で柔道道場開き。60人が参加
1940年9月:外国人の活動禁止で日本人会解散、日本語学校閉鎖
1941年2月:ブラジル語学校経営父兄会発足。原田敬太会長
1941年3月:青年会も一時閉鎖。地区別に分散集会
1941年12月:太平洋戦争が勃発
1945年8月15日:終戦
1947年2月:福博二五青年会再開
1948年7月:父兄会解散し福博村会発足。原田敬太会長
1948年8月:第1回福博村実態調査。石橋初雄氏がグラジオラス栽培を開始
1949年4月:青年会員の曲尾パウロ氏がスザノ市議に当選
1949年8月:福博寺が落成
1949年9月:福博ブラジル小学校の落成式。現在、閉鎖されている
1951年4月:女子会が第1回敬老会開催。65歳以上58人
1952年4月:ブラジル学校校長が父兄に対し、日系生徒は日本語しか話さないと警告
1952年5月:児玉兼次氏が福博二五青年会に1アルケールの土地を寄贈(現在の敷地)
1954年5月:戦後移住者第1号の水島トモアキ氏入植。児島イサム氏がイタリアブドウ栽培開始
1956年5月:チジュコ・プレト日会が福博村会から独立
1957年:福博村会剣道部が創立される。谷口又夫師範
1958年3月:新・福博二五青年会会館が落成
1958年9月:福博に電気が入る。スザノ・リベイロンピーレス旧街道にアスファルト
1959年1月:拝賀式で日伯両国旗掲揚並びに両国歌斉唱
1959年5月:瀬川長次郎村会会長が運動会の翌日、トラクター事故死。福博初の村葬
1960年:3月入植30周年慰霊祭、4月敬老会、9月祝賀会
1961年4月:福博村初の市会議員に池田ジェルバジオ氏が当選
1963年3月:福博婦人会が創立。石川静子初代会長
1967年5月:福博村民131人がパカエンブー競技場で明仁皇太子、美智子妃殿下を歓迎
1967年11月:福博村をビラ・イペランジアと命名
1970年9月:福博入植40周年記念祭。福博村の中心道路を『敬太原田大通り』と命名
1971年5月:新グルッポ校舎『ロベルト・ビアンキ校』が落成
1971年9月:原田敬太氏が逝去。村葬
備考:大浦文雄氏が原田敬太氏日記を全て読み、福博村入植が1931年3月13日と判明。
1973年2月:福博地方に電話が入る
1974年6月:渡辺正勝氏一家4人交通事故死
1975年5月:老人クラブ『福栄会』が発足。古賀茂敏初代会長
1976年8月:ダム建設で水道局が低地全体を接収
1977年:9月福博文芸部が創立。10月斉藤静江婦人会長が交通事故死。婦人会葬
1979年5月:水道局が福博運動場接収
1979年9月:水没のため、州交通局が旧スザノ-リペロンピーレス街道を交通止めにする
1979年9月:黒木松巳氏がゲートボール用具を持ち込み、ブラジルで福博村が発祥の地
1980年3月:福博で強盗事件が多発。防犯部を設置、各家庭にサイレン設置、拳銃購入
1981年10月2日:福博グランドで福博とイタペチチームが第1回ゲートボール親善試合
1981年4月:交通止めの旧スザノ‐リベイロンピーレス街道が再開
1981年9月:第1回ブラジルゲートボール大会。福博村入植50周年祭
1983年:1月スザノ・イペランジア老人ホーム設立。5月第1回カラオケ大会
1984年4月:古賀茂敏氏逝去。村葬
1985年5月:日本への出稼ぎ始まる
1986年1月:企業の協力で、福博村警備のためパルメイラス軍警にワーゲン車1台寄贈
1987年1月:チジュコ・プレト植民地の児童が福博日本語学校に集団入学
1989年1月:大和植民地の児童が福博日本語学校に集団入学
1991年:3月福博入植60周年記念慰霊祭、8月と敬老会
1991年9月:福博ソフトボール部が発足
2001年:3月11日福博入植70周年記念慰霊祭。9月16日敬老会と祝賀会
2006年3月11日と9月:福博村入植75周年記念祭
2008年初旬:福博村日本語学校は私塾制で継続されていたが、閉鎖され、その後スザノ市に無料で貸され、校舎はブラジル小学校として使用される
2008年3月:村会所有の旧ブラジル小学校校舎スザノ市譲渡の交渉開始
2008年6月19日:麻生渡福岡県知事一行が福博村を訪問、こいのぼり8組寄贈
2008年6月20、21、22日:ブラジル日本移民百周年記念祭をスザノでも開催。上野ジョルジ実行委員長
2008年10月:1カ月内に、日系人宅に5件の強盗
2009年6月:60年の歴史がある福博寺が閉鎖
2010年:旧インディオ・チビリサー街道が完全に交通止め。福博地方の住民は16キロ迂回しなければならなくなる
2010年2月:スザノ裁判所より旧ブラジル学校譲渡金引き出し許可が下りる
2010年3月28日:『スザノ福博村75年のあゆみ』DVD発表会
2010年11月29、30日:軍警が不法居住者全員を強制退去、全家屋破壊
2011年3月13日:福博村入植80周年慰霊祭と敬老会
2011年3月:東日本大震災救済のため、総額26,660レアル(スザノ全体の60%)を募金、サンパウロ文協を通じて日本へ送金
2011年10月2日:福博村入植80周年記念祝賀会