ニッケイ新聞 2011年10月27日付け
竹中平蔵氏は講演の締め括りに、大連で9月に開催されたサニーダボス経済会議に招待した被災地の女子生徒の体験を話した。「家で家族と語らっていると地震が起き、津波から逃げる時間もなく飲み込まれた。波が引くと、建物の下敷きになった母を見つけた。でも第2波が来た時、私は自分の命を選んだ。走る私の後ろで『行かないで』と母の声が聞こえた気がした」—震災は悲痛な別れをいくつ作り出したのだろうか。
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「写真を発表して終わりではなく、市民との対話のきっかけにしたい」と仁尾帯刀さん。学生に授業で来てもらえるよう大学や高校を訪問し、作品の紹介を通じてサンパウロ市について意見交換していくそうだ。「建設の過程や放置された廃墟は景観を損なうかもしれないが、『ケ・フェイオ(醜い)!』の一言でやり過ごすのは惜しいほど豊富な話題を含んでいますからね」。この10年程でメトロも延び、東洋街にも新築ビルが一気に増えた一方で、途中で放置される建物も実は多い。〃沸騰都市〃サンパウロの隠された一面に焦点を当てた写真展は来年1月までお預け。