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ぶえのすあいれす丸同船者会=航海問わず20人が参加=思い出話に笑顔があふれ=連絡先交換、新たな友情も

ニッケイ新聞 2011年11月25日付け

 戦前最後(1941年8月)のぶえのすあいれす丸で来伯した森広雅夫さん(80、岡山)=サンパウロ市=が音頭を取り、航海の別を問わない〃同船者会〃を20日、リベルダーデ区のレストランで開いた。同船者や親族ら約20人が集い、船中での思い出話やそれぞれの人生を語り合った。

 先没者に黙祷を捧げた後、それぞれが自己紹介。初対面の人も多かったものの「何歳で来たの?」「今いくつ?」など質問をし合い、交友を深めた。
 「厳しい雇い主で、4歳の頃から、朝4時から夕方8時まで働いた」と話す三島せいさん(85、北海道)=サンパウロ市=は、過去2回の同航者会にも参加した。
 「口に出していえないほど苦労した。同じ船に乗った人と会えるこの会が楽しみ」と明るい笑顔を見せた。
 「最終便で日本にいったら、戦争が勃発し帰国できなくなった」という宮本敏彦さん(74)=サンパウロ市=はブラジル生まれの帰伯二世。高校卒業後1954年に帰伯し、「二重国籍でどっちつかずの国民になったけど、両方の国の良さが分かった」と話す。
 思いがけなく同航者の高倉尚子さん(81)=サンパウロ市=と出会い、「僕の姉と年が近いから、船で一緒に遊んでいたかも」と喜んでいた。
 高倉さんは「1941年に日本に帰る時は(元連邦下議の)平田ジョン進さんと一緒で、その後もよく連絡を取った。自分の誕生日が来ると、祝って欲しそうに家に来ていた」とのエピソードに、参加者からは「へえー」と感嘆の声が漏れた。
 森広雅夫さんの兄秀夫さん(82、岡山)=イタチーバ市=は、「岡山県美作市とイタチーバを姉妹都市にするため、橋渡しの仕事をしている」と自己紹介、「皆と会えて嬉しい」と顔をほころばせた。
 「パトロンが全て命令する奴隷のような生活を送った」と移住当時を振り返る東山輝雄さん(88、岡山)=クリチーバ市=は、「夜が明けると周りがヤギのふんだらけ。コーヒー豆かと思ったこともあった」と皆を笑わせた。
 赤道祭や移民収容所での生活など、それぞれ心に残る思い出を語り、昔の写真を見せ合った。
 「今まで大切に取っていたの」と石原種代さん(90、愛媛)=サンパウロ市=は、船内学校でもらった皆勤賞の賞状を見せた。
 水野昌之さん(87、愛知)=サンパウロ市=は、「同航会はよくあるが、同船者会はめったにない。もっと人数が集まれば」と会の更なる盛り上がりに期待を寄せた。
 最後に皆で出港を見送る『同胞を送る歌』を斉唱し、「また家においで」と連絡先を交換したり、「また会おう」と握手を交わしたりしながら別れを惜しんでいた。