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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年11月26日付け

 戦後、ブラジルで最初に発行された邦字紙は「サンパウロ新聞」であり、故・水本光任氏が発行人。編集長は故・内山勝男氏。印刷に使う日本語の活字がないために創刊号は「ガリ版」だったが、あの勝ち組と負け組の抗争が起こりコロニアでテロ事件など混乱の時にも部数を伸ばし、60年代後半から80年代にかけては、発行部数も4万部近くになり、編集局も意気軒昻たるものだった▼水本光任氏には、いろいろと毀誉褒貶があるけれども、あの人は仕事一本槍で豪快な生涯を送ったので—世の評には誤解によるものが多い。遯生は「サンパウロ新聞」の呼び寄せだったし記者稼業を8年ばかりやったので水本社長には、とてもよくしてもらった。尤も、あの社長は「怒る」のが癖のようなもので出勤すると毎朝—呶鳴られていたが、当方もかなり図太いから余り気にもしなかったが、あの社長の若者の育て方は—群を抜く卓抜さだった▼編集の仕事は夜が遅くなることがしょっちゅうだが、そんなときに—社長夫人のみゑさんが、娘さんらと台所に立ち手造りの旨い料理を編集局まで運んで来てくれる。今ごろの季節だと鯖を塩で締め米酢に浸した鯖ずしが、とにかく美味い。いつも満面に笑みを湛えとても朗らかな御婦人だった。自宅でのシュラスコ大会も人気でコロニアのお偉方も、ショッピを傾け、あの熱々の焼肉を頬張っていた▼それにしても—水本みゑさんが老衰のため黄泉へと旅立たれるとは—。恐らく、戦後の3大邦字紙創刊の社長だった方々や夫人らの最後を飾るのが、みゑさんであった。享年92。今はただ合掌である。(遯)