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第8回=ニューカレドニア=敗戦で出自を封印した子孫=「沖縄の家」で活性化へ

ニッケイ新聞 2011年12月7日付け

 移民史研究家の津田睦美さんはNC県人会の誕生を記述する一文をこう締めくくる。
 《日本人の血をひくということだけで差別の対象になった時代、日本人の父親に対する愛情や記憶を封印せざるをえなかった二世は戦争被害者であり、60年以上の時を経て、ようやくそこから這い出し、自分たちの記憶を忘却の彼方から呼び戻すことができるようになった。そして、今や六世が誕生する中、遠い過去の物語ではなく、現在につながる「家族」の物語として、移民史を大切に語りついていかなければならない》
 戦争によって日本人というルーツを封印する心理は、戦中戦後に10代だった当地の二世とも共通するものだ。それが百周年でブラジル社会から祝福されてコンプレックスが解消されたように、NC子孫も世界のウチナーンチュ大会に参加することによって心理的に解放されるものがあるのだろう。
 移民史は学者が作るものではなく、本来それぞれの家族が語り継ぐべき家族の歴史なのだ。それが寄り集まった集大成が移民史であり、一家族、一家族の歴史こそがすべての基礎だ。
 10月9日付け琉球新報によれば、NC沖縄日系人会はこの11月22日、同島のポワンディミエ市に集会室や展示室を備えた会館「沖縄の家」を開所した。
 340平米の用地に、州政府からの補助を受けて、現地の料理を観光客に提供するレストラン、集会室、沖縄から持ち帰った資料を展示する部屋等が設けられるという。
 祖父が名護市出身の同日系人会前会長(58、三世)は、この会館をテコにして「文化やスポーツを通して少しずつ交流を広げ、沖縄との姉妹都市提携につなげていきたい」と同紙にコメントしている。現地に県人会設立、母県に受け入れ団体設立、大会参加、会館建設まで実現し、次の夢は姉妹都市提携という段階までやってきた。
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 思えば、ブラジルにある多くの県人会は、とっくにそこまでの〃夢〃を実現している。そして、そこで止まっていないだろうか。姉妹都市提携の先には何かあるのか。母県との成熟した関係はどうあるべきか。
 ブラジルの県人会では一般に、「二世になると日本語が分からないから県庁とのやり取りが出来なくなり、活動が停滞する」との言う事が多い。
 しかし、NCの場合は最初からフランス語で、混血も進み、顔だけ見てもほとんど分からない、日本文化もまったく知らない三世、四世世代がゼロから立ち上げた。
 それでも、県人会活動が復活する場合があるとすれば、ブラジルのようにすでに50年以上も会が継続し、県費研修生や留学生がいるところなら、いつ活発化してもおかしくない。
 120年間の間に二度の世界大戦があった。日本というルーツは完全に忘却の彼方に過ぎ去っていたはずだ。それが、三世代、四世代、五世代を経て呼び戻されるという現象は、ブラジル日系社会にとっては非常に興味深い。
 たとえ今後50年間のうちに日系ブラジル人の大半が日系意識を失ってしまったとしても、取り組み次第では移住200周年で甦ることがありえるという証拠だからだ。
 この大会は在外子孫にとってはルーツ掘り起こしのイベントであり、回を経るごとに若年層の参加が増えるという質的な変化が起きている。いったいこれは何なのかと考え込まされた。(深沢正雪記者、つづく)

写真=「沖縄の家」を報じる琉球新報10月9日付け