第15回=逆遠隔地ナショナリズム=海外に学べとの掛け声

ニッケイ新聞 2011年12月16日付け

 前節で見てきたように沖縄県では方々で「海外には〃明治の沖縄〃が残っている」との言葉を聞いた。海外県系人がウチナー意識を継承している姿をみて、母県側の市民は自らのあるべき姿を再確認しているようだ。郷土愛ともいえるし、ナショナリズム傾向、エスニック志向のような方向性も内包しているようだ。
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 ブラジル県人会の与那嶺真次会長は、この現象を「裏表の鏡」と興味深い表現をする。ブラジル子孫は沖縄という鏡を見て「やっぱり自分はウチナーンチュだ」という気持ちがわいてくるが、母県市民も海外子孫が〃明治の沖縄〃を継承している姿をみて、「自分達はもっと伝統文化、根っこを大事にしなきゃ行けない」と自覚を深める。
 お互いがそこに何かを投影し、自覚を深める「裏表の鏡」になっている。そして手を携えて、ひとつの方向に向かう。
 これは一見「遠隔地ナショナリズム」のように見える。祖国を遠く離れた移民集団が祖国の現状を憂い、遠隔地からナショナリズム色の強い意見を発して、祖国に影響を与えることだ。ところが沖縄の場合は、実は母県側がそれを誘発して海外勢が乗り、一体化して盛り上げている図式があるように見える。
 母県の方から「明治の精神」をブラジルに投影し、それに似合った事象を選び出して報道し、会議で取り上げることで「やっぱり伝統的な沖縄を残すべきだ」という母県の世論を盛り上げる社会心理があるようだ。
 海外在住者からすると、少し別の現実も見える。実際の県系人の大半はすでに意識が薄れている。県人会の与那覇朝昭事務局長によれば現会員数は2800人だが、1973年当時では3648人もいた。明らかに減少傾向であり、「若い人はあまり県人会活動に関心を示さない」と心配する。
 それに「子孫が沖縄方言をしゃべる」からと言って、〃明治の沖縄〃の精神まで残っているのだろうか——という根本的な疑問も湧く。
 しかし、大会参加者だけを見れば選りすぐりの高い意識を持つ層だ。旅費を負担して大会に参加する人は自覚が強い人ばかりで、〃明治の沖縄〃があるように見える。普通どの県でも海外子孫の県人意識は世代が進むごとに薄れる。この自然の摂理に対して、この大会は流れに棹差すような方向性を持っている。
 前堂(まえどう)和子さん(かずこ、70、沖縄)=神戸在住=は大会に参加した感想を、「震えて、涙が出そうで、堪らなかった。世界に散ったみんなの心がひとつになるのを感じた。沖縄のDNAが私の心の中に、魂の中にはっきり生きているのをこの大会で感じた」とのべた。神戸に住んでいる彼女も、海外子孫と同列だと意識していることが分かる。大会では東京、大阪などの県人会等〃内地〃勢と海外勢が肩を並べて熱い議論を交わした。
 那覇在住7年のフリージャーナリスト高橋哲朗さん(50、埼玉)は、ブラジルに3年、米国に7年、オーストラリアに1年住み、国際的な視野から取材活動をしてきた。
 「沖縄県人は愛郷心がすごく強い。島を離れたのなら、本土でもブラジルでも大差ないという感覚がある。離島ならではの意識、ここを中心とした一つの世界がある」と分析する。そのような意識が強いから、沖縄の人は自分達を〃ウチナー〃、本土の人間のことを〃ナイチャー〃(内地人)と区別する。米軍統治時代の意識の名残りか、今でも「外地」にいると感じているようだ。
 その意識を反映して、沖縄の地方紙には独特の「県系人」という言葉遣いまである。一般な日本語でいえば「県人子孫」だ。ウチナー意識の延長線上に「県系人」という概念を作り出し、今ではそこまでウチナー自体の範囲が広がっている。
 高橋さんは「日本という国の、一番歪んだ部分の現実をここでは観察できる。本土のしわ寄せがここに集まっている」と繰り返す。国境を超える強い血縁意識の原動力となるのが、この「ゆがんだ部分の現実」かもしれない。(つづく、深沢正雪記者)

写真=沖縄探見社を創立し、平田進の生涯を描いた『国会議員になった「隠れキリシタン」』など4冊を出版した高橋哲朗さん