新年特集号
ニッケイ新聞 2012年1月1日付け
「もう狩りも農業も、殆どしなくなってしまった」。山木源吉さん(69、山形)は家族のように生活を共にしたタピラペ族の現状を嘆いた。出聖して以来仕事や子育てに追われ、何十年も部落を訪れることが出来なかった。伝統は崩れ彼らの生活は様変わりし、生活にも困窮し始めた現状を憂う。
他部族の襲撃や文明人との接触で人口が激減し、居住地を移動してきたタピラペ族は96年、インディオ保護局「FUNAI」(Fundacao Nacional do Indio、1967年設立)が元々の居住地であったコンフレーザ市ウルブ・ブランコをインディオ保護区と設定したことで、同地区に移り住んだ。
一度は農業者の手に渡り開発された広大な牧草地帯だったため、侵入者を防ぐため七つに分かれて入植した。山木さんによれば現在約750人、最大規模の集落には500人が暮らしている。
農業が衰退した原因の一つは、「畑のある原始林までは最低でも2〜6キロは歩かないといけない。作物を植えても監視が出来ず、豚が食べてしまう」ことだ。
土地を追われた補償として、政府による福利が厚く、医療費は無料、生活、出産、育児には補助金、55歳になると無職だった人でも年金が支給される。そのため、生計は立つが、森林生活の知恵はなくなった。
同保護区内で鉱山開発やダム建設を行う企業があれば、開発の代償にテレビ、携帯電話、パソコンや冷蔵庫など、数々の文明の利器が手に入ったことも、部族の生活を変えた一因だ。
「もう今は、政府や企業の補助に頼りきって生活するおんぶに抱っこの状態。なのに昔の考え方のまま、蓄えるということをしない。だから人口増加につれ食糧不足が進行している」と年々状況は悪化している。
大学を卒業しても就職口はなく、部落内の求人は飽和状態。「ブラジル人には、インディオを〃けだもの〃と差別する意識がある。ONGや政府の機関ですら、芯から受け入れ対等に付き合っているとは思えない。保護してあげている、という上から目線が感じられる」と憤りを見せる。山木さんのように、自宅を行き来して同じ釜の飯を食うような関係を築いた人間は少ない。
考え抜いた末 、「まずは農業に力を入れ、自給自足の生活を取り戻すべき」との結論に至った。「まずは指導がしやすい家族単位の小さい部落に住んで、農業を根付かせたい。一つの部落が豊かになれば、他の村もやりたがるはず」と確信を持つ。
再び部落に住んで農業支援をするべく、構想してきた企画はほぼ出来上がった。政府の許可が得られれば、スポンサーや協力者を募る予定だ。「これは金もうけじゃないし、5年以上はかかる。妻は家に残ると言っているが、『これはあんたと結婚する前からの夢だから、俺は一人でも行くよ』と言ってある」と決意は固い。
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事業に関心がある人は連絡をしてほしいとのこと。連絡先は=19・3243・1067まで。