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笠戸丸移民の子孫が集合=渡久地政人さんを偲んで=1人から114人の大所帯に

新年特集号

ニッケイ新聞 2012年1月1日付け

6人の子供と孫、ひ孫も=「人種偏見がなかった」

 一人の笠戸丸移民から114人の大所帯へ—。19歳のとき第1回移民船笠戸丸で渡伯した渡久地政人氏(1889—1968)の直系の子孫は114人(子供12人、孫38人、曾孫50人、玄孫14人)に上る。11月19日、子孫とその配偶者らを含む約100人の家族がサンパウロ州各地やリオ州から一堂に会し、「ファミリア・トグチ」の第1回目のフェスタがサンパウロ州リベイロン・ピーレスで行われた。政人氏の曾孫にあたる渡久地カルデイラ・メサーナさん(35)、ドイツ在住のジゼーリさん(34)姉妹が発案し、フェイスブック等を通じて親戚中に呼びかけ実現したもの。この日のフェスタを通じて垣間見た約60年の政人氏のブラジルでの足跡や人柄を、姉妹の父オズワルドさん(69)、沖縄県人会サントアンドレー支部長・宮城あきらさんの調査をもとに紐解いてみた。

 この日のフェスタにはサンパウロ州各地に住む政人氏の6人の子供テレーザ(80)、オラーヴォ(79)、アルベルト(76)、フランシスコ(75)、ルイス(70)、マリーナさん(68)が元気な姿を見せた。
 「祖国を常に重んじながらも父はブラジル人として生きた」と語るのはアルベルトさんだ。子供にはポルトガル語で話し、カトリックの洗礼も受け、「ジョゼ」を名乗っていた。
 政人氏はブラジルの新聞や雑誌をよく読んでいたといい、息子のフランシスコさんは「父は常にブラジルの情報に通じていて、何が起こっているのか知っていた」と振り返る。
 戦後の混乱期も日本の敗戦を知っていたという政人氏。周囲にそれを伝えようとしたが、誰も信じなかった。フランシスコさんは、「父は周りから脅迫されていた。一度危ない目に遭いそうになったが、無事に戻りました」と神妙な面持ちで語った。
 政人氏の長男ミゲルさんの娘マルレーニさん(61)は、そこここで挨拶を交わし、写真撮影に勤しむ親類たちを満足そうに眺め、「祖父がどのようにブラジルで生きてきたかを、家族で共有することが目的だった」と趣旨を語る。
 「祖父は特別な人。落ち着いていて文学が好きだった。日本とブラジルの両方の作家を読んでいました」と振り返り、「どんな人種に対しても全く偏見がなかった。私が14歳のとき、結婚相手は働き者で教育を受けていて正直な男なら誰でもいいよ、と言われたのを今でも覚えています」と微笑む。