ニッケイ新聞 2012年1月7日付け
近年のパルメイラスを代表する選手で、2002年にブラジル代表(セレソン)が世界王者となった際に正ゴールキーパーもつとめたマルコス(38)が4日に正式に引退を表明した。5日付伯字紙が報じた。
引退発表は4日午後に行われた。パルメイラスのセーザル・サンパイオ理事は「マルコスは満身創痍だった」と引退の理由を語った。また、伴侶である父を失った後の母との時間が必要だと感じていたことも理由とされている。一説では、今年のサンパウロ選手権までの契約更新を打診したところ、パルメイラス側との交渉が不調に終わったことに不満を抱いたからともいわれている。
マルコスは1992年5月に19歳でプロ・デビュー以来、20年間一貫してパルメイラスの一員としてプレイし、1999年にはリベルタドーレス杯での優勝にも貢献した。また、翌年のリベルタドーレス杯は準優勝に終わったものの、準決勝のコリンチャンス戦でマルセリーニョのPKを止めたセーブは、今もブラジルのサッカー・ファンの語り草となっている。
セレソンには1996年に初召集。2002年のW杯では、サンパウロFCのロジェリオ、コリンチャンスのジーダといったサンパウロ州のライバルクラブの名ゴールキーパー同志での正GK争いが話題を呼び、それに勝ったマルコスは見事セレソンの優勝にも貢献した。
その後は、大腿部の痛みや左上腕の骨折、引退の引き金にもなった左ひざの痛みなどもあり、戦列を離れることも多かったが、それでも2008年のサンパウロ州選手権や2009年のリベルタドーレス杯でも活躍。また、チーム愛が深いことでも知られ、2003年にチームがセリエBに降格したときは、欧州クラブからの移籍の誘いがあったがこれを拒否。飾らず、かつユーモアに溢れた人柄も愛され、国内の試合では相手チームからも声援を送られた。530試合を戦い抜いた背番号12は、パルメイラスの守護神であり象徴だった。
マルコスは引退に際し「最低賃金が500レアルのこの国で、サッカーで自分と家族の人生が変わった。神に感謝している」と語り、「幼い頃から応援していたチームでプレイできて幸せだった」と語っている。
引退試合は2カ月の休暇後に行われる予定で、エスタード紙によると、90年代のパルメイラスの選手との同窓試合になりそうだという。また、今後についてはパルメイラスへの残留が濃厚とされており、管理職、コーチ補佐、スカウトなどが噂されている。