ニッケイ新聞 2012年1月10日付け
【ナタル共同=遠藤幹宜】東日本大震災後も被災した故郷に帰ることなく、亡くなった親族や友人に思いをはせながら、地球の反対側の遠洋でマグロ漁を続ける男たちがいる。異国の船上では情報が少なく、変わり果てた故郷の姿はまだ写真や映像でも知らない。「早く帰って、この目で見たい」。後ろ髪を引かれる思いで荒波と戦う毎日だ。
「岩手・陸前高田市、ほぼ壊滅」。震災後間もなく、ファックスから吐き出された船舶ニュースを見て、背筋が凍った。当時、西アフリカ・カボベルデ沖の大西洋で漁を行っていた第51幸漁丸(富山県高岡市船籍、469トン)の村上和弘船長(58)は陸前高田市広田町出身だ。
太平洋に突き出した岬にある広田町。実家の母や兄らに船舶電話で連絡を取ろうにも何度掛けてもつながらない。遠洋漁業ではインターネットやテレビも使えず、高額の電話だけが頼り。東京や静岡に住む親戚とやっと連絡が付き、母や兄の無事と、いとこの死を知ったのは震災後何日も経ってからだった。
2010年9月に出漁後、ブラジル北東部ナタル港を拠点に大西洋で漁を続け、まだ一度も帰国していない。「一人で帰っても何もできない」。親や子どもが死んだわけではなく「漁や乗組員を投げ出せない。船主や仲間に迷惑がかかる」
だが「早く母に会って、本当に無事なのか確かめたい」との思いは募る。「奇跡の一本松」で知られる高田松原では子どものころよく遊んだ。「故郷の映像や写真をまだ見ていない。変わり果てたとは聞くが、実際どうなっているか知りたい」。悲痛な面持ちで嘆く。
水揚げや燃料・食材供給で数カ月に一度寄港する際も1〜2日の滞在で帰国する時間はない。だが、次の寄港地に着けば船主との契約期間が終わる。「心配させまいと電話じゃ本当のことを言っていないかも」。真っ先に故郷に向かい自分の目で確かめるつもりだ。
ブラジルでの日本のマグロ漁を仕切る地元企業によると、5隻が船主の被災などを理由に震災直後に日本に引き返したが、11隻が今も同港を拠点に漁を継続中。厳寒や荒波に耐え1〜2年間も帰国せずに働くマグロ漁師には忍耐強い東北出身者が多く、11隻に乗る岩手、宮城、福島県出身者は計26人。半数近くが震災後、帰国していない。
妻や親を失い、交代要員を頼んで寄港先から一時帰国した人もいるが、みな間もなく復帰した。村上船長の友人は「家族を亡くし家も流されてローンだけが残った。働かないと返せない」と涙ながらに語ったという。 一般的な日本のマグロ漁船には5人前後の日本人のほか、15人前後のインドネシア人ら外国人船員が乗っているが、ナタル港を拠点とする日本のマグロ漁では、ブラジルの漁業法に基づき、一定比率以上のブラジル人を乗船させなければならず、日本かつお・まぐろ漁業協同組合(東京)などが講師を派遣してナタル郊外でブラジル人漁師育成を進めている。
ブラジルの賃金や燃料費は他国に比べて高いのが懸念材料だが、ブラジル南方沖や大西洋、北大西洋はマグロの漁場としての将来性が高く、ナタル港を拠点とする日本船が今後増える可能性はある。
マグロ船誘致に尽力してきた野澤弘司さん=モジ在住=は「東日本大震災の被災者には高い漁業技術を持つ人が多い。ブラジル沖には被災地沖の漁場と似た魚もおり、ふかひれやカラスミの加工技術を持つ被災者に期間限定で現地指導に来てもらうことも可能だと思う」と提起。
「ブラジルへの技術移転と被災者支援の双方向のメリットがある」と訴え、両政府関係者に理解と協力を求めている。