ニッケイ新聞 2012年1月12日付け
「リベルダーデは変わった」。シネ・ニテロイがあり、日系食堂やバーが軒を連ねていた。半世紀の趨勢を見てきたガ・ブエノ薬局を昨年末に閉めた二世の女性が本紙の取材に語っている(12月21日付け)▼ラジアルやメトロ建設の開発で立ち退きにも遭ったという。78年発行の月刊雑誌「セクロ」をめくっていると、大阪橋と三重県橋の間にジャンボビル建設計画の記事があった。鳥居、日本庭園、すずらん灯など観光名所づくりに懸命になっていた頃。この案が実現していれば、橋の袂にあった薬局にも影響があっただろう▼言い出しっぺは、池崎博文現ACAL会長。07年に呼び出され「百周年記念事業として10年までに完成させる」とブチ上げたことを思い出した。30年越しのプロジェクトだったわけだが、マイリポランの〃池崎城〃建設が大変だったのだろう▼サンパウロ市がリベルダーデの観光ツアーを始めた(本日7面で詳細)。東洋街と言われて久しいが、観光地区として案内されるところは日系ばかり。経済的には追いやられてもこの街の歴史を作ってきたのは日本人なわけでこの部分はコロニアも大いに市と手を組むべきだろう▼史料館の開館やその日にあるイベントの紹介などできることは色々ある。まあ百周年の際の対応ぶりを見ても文協に期待はできそうもないが。市には観光地区としての美化問題にも取り組んで頂きたい。そういえば野村アウレリオ市議が昨年9月にリベルダーデ浄化計画をぶち上げ、各国コロニアの代表を招き公聴会を開いたが…さて。今年10月の選挙までに成果を上げるべきだとは思うが。(剛)