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「小泉元首相に知って欲しい」=バイアの宮川さんが懇請=「海協連の宣伝はウソ」=無肥料どころか泥炭地

ニッケイ新聞 2012年1月18日付け

 「小泉元首相にぜひお会いして、本当のことを知って欲しい」。バイア州イツベラーバ市でマンゴスチン農場を営む戦後移民の宮川節子さん(82、神奈川)は、最初に入植したリオ・グランデ・ド・ノルチ州ナタル近郊のピウン(Pium)連邦移住地で置かれたあまりにひどい状況に今も腸が煮え繰り返る想いだという。入植者が手分けして通算300通以上の陳情書を日本海外協会連合会(海協連)はもちろん外務省、政治家、新聞記者らにも出したが、まったくナシのつぶてだった。「ノルデスチは棄民の地、日本から間引きされた人口の捨て場だった」と強い口調で訴えた。

 56年にあめりか丸で渡伯した時、同船者の多くはドミニカ移民だった。小泉純一郎首相(当時)は06年、ドミニカ移民に対し、移住問題で正式に謝罪したことは記憶に新しい。かつて日本政府は「緑豊かな光あふれる熱帯の楽園」とのうたい文句でドミニカ移住を誘ったが、実際の農地は塩分が濃くて石が多く、農業には不向きで入植者は大変な苦労を強いられた。それを謝罪し、特別一時金を支払った。
 一方、北東伯に日本移民が集団入植した例は少ない。ナタルには大規模な3軍基地があるために、そこで消費される野菜をサンパウロ市から空軍機で運んでいた。連邦政府は野菜を供給しようとドイツ移民、イタリア移民などを試したがすぐに退耕したため、日本移民に白羽の矢が立った。
 ピウンに入った日本移民は10家族で、土地が分譲される前の3カ月間は農業試験場内に土地をあてがわれ、そこでは順調に野菜が収穫できた。ところが土地の割当てが終わり、入植してみると潅木しかない痩せた土地と泥炭地だった。「我慢して画面して野菜を作ったが、まったく不向きだった」と振返る。
 海協連が日本で上映した宣伝映画の「無肥料でバナナやオレンジが取り放題」とのうたい文句を信じて渡伯を決めただけに、裏切られたとの気持ちが強かった。最寄のペルナンブッコ州レシフェの海協連事務所に家長らが何度も足を運び、膝詰談判を重ねたが、「何の対策もとられず報われなかった」と思い出す。
 入植者が連名で陳情書を書き、日本の外務省関係者、当時の首相の佐藤栄作ら政治家、第2次大戦開戦時にブラジル特派員だったブラジル通の朝日新聞の荒垣秀雄(のちの「天声人語」執筆者)らジャーナリストに送ったが、「まったく取り上げてくれなかった」とまるで昨日のことのような鮮明さで記憶をたどる。
 ドミニカ移民が特例処置で一時金をもらったとの報を聞いた時、ドミニカからブラジルに転住した人の息子から、「自分の伯父はもらったみたいだけど、宮川さんは?」と聞かれ、忸怩たる想いをしたという。
 数年内に訪日する予定があり、ぜひ小泉元首相に会いたいと心から望んでいる。「外務省から勧められて国策で入植したのに、条件はウソばっかり。別に裁判にしようとかは思わない。ただ政府がした本当のことを知って欲しいだけ」。戦後移民の声は祖国に届くだろうか。