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特別寄稿=望郷阿呆列車=ニッケイ新聞OB会員 吉田尚則=(4)=出発進行いざ

ニッケイ新聞 2012年1月20日付け

 9月2日午前6時起床。宿泊ホテルの朝食はまだ準備できていないが、これは計算済みだった。朝めし替わりに、大館の鶏めし弁当がお目当てなのだ。
 全国3千種といわれる駅弁界にあって、鶏めし弁当も数多いなか、大館鶏めし弁当は『駅弁大全』(文藝春秋社刊)にも載る特選弁当である。地元産の名物、比内地鶏を甘辛く煮つけた味に人気が集まってのことだろう。
 青森駅を始発とする秋田駅行き上り特急つがる2号は午前6時57分、定刻どおりに大館駅を出発。鶏めし弁当をほおばりながら、わたしは「望郷阿呆列車」を勇躍、出発進行させた。
 さきほどから少し考えごともしていた。昨日、投宿ホテルに向かう途中タクシーから見た大館市商店街の光景である。
 この町もご多分にもれずというか、シャッターを下ろす商店がずいぶん増えていたのだ。中央から進出して、郊外に巨大店舗を構える量販店に蚕食された跡のような寂れようだった。
 人口4万人弱のわたしの町も、同様の憂き目をみている。地元消費者と小売店の活動には十分の配慮を払うとする大規模小売店法が、米国の外圧を受けて廃止に追い込まれて以来、全国各地で中央の資本同士が、地元小売業者を食いものにしながら仁義なき戦いを繰り広げているのだ。
 郊外に広い駐車スペースを設けての車社会に対応した商法ではある。だが、いよいよ少子高齢化の進む時代で、運転できない高齢世代にとっては何とも不便な「わが町のかたち」となってしまった。「買い物難民という言葉も出だした」と、田舎の友人は憮然とつぶやいた。
 以前しばらくぶりに訪日帰郷した時、故郷の変貌ぶりに一驚したことがある。道路は拡張、新設されて茅葺き家など姿を消してしまい、小振りながら鉄筋ビルまで建ち始めていた。
 あれは同窓会の席上だったか、「わがふるさとは、あまり変わって欲しくないな」そう言うと、誰かに「どんどん外部資本を導入してゆかなければ、町の発展は望めないのだ。このままだと過疎化の波にさらわれてしまうのが、よそ者になったおまえには分からんだろう」とたたみ込まれ、ふるさと喪失者には返す言葉もなかった。
 あれから30年は経ったろうか、シャッターを下ろした跡地で再び商店経営をする者はもう出てこないだろうと旧友らはみている。
 やや暗然たる気分に陥って、「望郷阿呆列車」は早くも話が脱線してしまった。
 特急つがる2号はトンネルに入る度にブワァァ〜と、ハーモニカの低音部のような間の抜けた汽笛を発して、県北の穀倉地帯を走る。窓外には秋田杉林が遠望され、その遥か北方に世界遺産の白神山地がかすんで見えた。
 6両編成のこの特急は、グリーン席が1両の半分しかなく、残る半分は指定席で占められている。「半室グリーン車」の座席は16席のみで、JR東日本の特急は「このタイプがほとんど」と車掌。その半室に客はわたし一人だった。
 午前8時26分、終着駅秋田に定刻着。これから1時間余り待って新潟駅行き特急に乗り込むのだが、きょうはたびたび列車を乗り換えなければならず、線路をぶつ切りにされたみたいで快適とはいい難い。
 自分勝手に不便なスケジュールを組むのはそれなりに楽しくもあるのだが、JRの都合で不便を強要されるのは愉快でない。
 そのうえ、乗り換え時間のかなり短い駅もある。車掌にわけを聞くと、新青森駅まで新幹線が開通した結果、日本海側を走る在来線にダイヤのしわ寄せがきたのだという。また日本海側軽視か、けしからんではないか。